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祥寿姫(しょうじゅひめ、生没年不詳)は、平安時代末期の新田氏一族の女性。源義重の娘。源義平の正室。実名は不明。祥寿姫の名は菩提寺である群馬県太田市の祥寿山曹源寺の寺伝による。法名は妙満尼とも。 夫である義平は平治元年(1159年)12月の平治の乱で敗れたのち、翌年1月に捕らえられて20歳の若さで斬首され、祥寿姫は未亡人となる。平治の乱から20年後の治承4年(1180年)8月、義平の異母弟源頼朝が挙兵し東国の主となると、去就を迷っていた父義重は参陣が遅れ12月になって鎌倉を訪れたため、頼朝の不興を買った。 『吾妻鏡』寿永元年(1182年)7月14日条によると、頼朝は伏見広綱に命じて、密かに兄の未亡人である祥寿姫に艶書を送っていた。祥寿姫は全く受け入れる気配がなく、頼朝は直接父の義重に申し入れたところ、頼朝の妻北条政子の怒りを畏れた義重は祥寿姫をすぐさま師六郎に嫁がせたことから、頼朝の勘気を被ったという。この事が頼朝による後の新田氏冷遇に繋がったとされている。 ちなみに、政子の嫉妬深さを物語る逸話として有名な亀の前事件はこの年の11月の事である。 祥寿姫のその後は不明だが、曹源寺の寺伝によれば、文治3年(1187年)に義重が祥寿姫の菩提寺として建立した六角堂が曹源寺の起源となったといい、父に先立って死去したものと見られる。 == 関連項目 == *新田氏 category:平安時代の女性 category:新田氏 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「祥寿姫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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