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福の花 孝一(ふくのはな こういち、1940年7月1日 - )は熊本県菊池郡合志町(現役当時、現在の同県合志市)出身で、出羽海部屋に所属した大相撲力士。得意手は右四つ、突っ張り、張り手、寄り。本名は松井 孝一(まつい こういち)(入門時の姓は福島(ふくしま))。身長183cm、体重135kg。岳父は元小結・和歌嶌。最高位は東関脇(1971年1月場所)。 == 来歴 == 同部屋の先輩である横綱・佐田の山譲りの突っ張りが得意で、その強さは1970年1月場所で当時大関の北の富士を張り手一発で倒し脳震盪を起こさせるほどだった。このため四股名を捩って、フックの花(張り手をボクシングのフックに例えた)と呼ばれた。出世は必ずしも早いとはいえなかったが、長く幕内上位で活躍した。1970年5月場所と翌7月場所では横綱・玉の海から連続して金星を奪う大活躍を見せ、前者に於いては8勝7敗での敢闘賞に与り、後者においては7勝8敗の負け越しに終わったものの結果としてこの場所の玉の海に唯一の黒星を付ける大殊勲となった。〔通算対戦成績は福の花の4勝11敗。〕〔新潟日報/昭和45年7月6日(月)10面=スポーツ面から〕関脇に初昇進した1971年1月場所(初日から8連敗のあと休場、結局関脇を務めたのはこの場所のみ〔『大相撲ジャーナル』2015年4月号30頁によると新関脇の白星なしは15日制下において福の花が初である〕)では、すでに30歳を越していて、当時の幕内では珍しい高年齢の新関脇と話題になった。 一時代を築いた柏戸、大鵬とはいずれも引退当日の対戦相手となり、不戦勝を得るというエピソードを残している。なお、実際の対戦では柏戸に勝ったことはあるが、大鵬には1度も勝てなかった(初顔合わせから10連敗)。 同部屋の後輩・三重ノ海に期待を寄せ、「五郎(三重ノ海の本名)が大関になるまでは引退しない」と頑張っていた。1975年、幕内で1年6場所連続して負け越し、同年11月場所限りでついに引退を決意した。同場所、関脇の地位にあった三重ノ海は13勝2敗と大勝ちして初の幕内最高優勝を遂げ、場所後に大関昇進を果たした。 三賞はいずれも敢闘賞で、7回受賞は引退当時同賞の最多受賞記録だった(のちに貴闘力が10回で更新)。三賞受賞が全て一部門に集中した力士としては、最多の三賞受賞回数を誇る。 引退後は年寄・関ノ戸を襲名して永く協会在勤の委員として協会事務に携わり、2000年には役員待遇に昇格、2005年6月に停年を迎えた。停年後も関ノ戸の年寄名跡を引き続き所有し、貸株として運用していたが、2008年に岩木山に年寄株を譲った。 2009年3月場所より同部屋の後輩・朝日盛(本名・福本修司)が新たに「福の花」を襲名したが、これは同年出席した新年会の席で「名字が福本なら使えばいい。」と勧めたものである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福の花孝一」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fukunohana Koichi 」があります。 スポンサード リンク
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