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福原 信三(ふくはら しんぞう、1883年(明治16年) - 1948年(昭和23年))は日本の実業家、写真家。資生堂の創業者・福原有信の息子であり、株式会社資生堂の初代社長である。また、弟に写真家の福原路草がいる。 == 来歴 == 資生堂薬局(当時)の福原家に生まれる。名前の「三」が示す通り福原家の三男であるが、長男の信一は身体が弱く、また二男の信二も幼少期に他界してしまったため、後継ぎとして育てられた。 千葉医学専門学校(現・千葉大学医学部)を卒業後、明治41年に米国・コロンビア大学薬学部に留学。卒業後はドラッグストアや化粧品工場で2年間働き、帰国して兄・信一と二人三脚で資生堂の経営をしていくこととなる。 経営にあたっては、資生堂を本格的に化粧品事業へ移行させ、また大正5年には他の企業に先駆けて意匠部(現在の宣伝部)を発足させた。 意匠部では美術学校の学生や若手画家をスタッフにしてポスター、新聞広告、パッケージデザイン、店舗設計などを行った。 「商品をしてすべてを語らしめよ」が口癖で、“商品”を伝える商品名、容器、パッケージすべてに神経を使った。 家業を受継ぎ実業界で活躍する一方で、芸術をこよなく愛する文化人でもあった。現在の資生堂のシンボルマークである「花椿」をデザインしたのも福原信三である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福原信三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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