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福原 有信(ふくはら ありのぶ、嘉永元年4月8日(1848年5月10日) - 大正13年(1924年)3月30日)は、第3代日本薬剤師会会長であり1872年に資生堂の前身である調剤薬局を銀座に開き、1897年には化粧品を発売した、資生堂の創業者である。 == 略歴 == 安房国松岡村(現千葉県館山市)の郷士の家に生まれる。父親は平民の福原市左衛門で〔日本工業倶楽部, 1925〕、その次男〔時事新報 1916.3.29-1916.10.6(大正5)、神戸大学新聞記事文庫〕。18歳で幕府医学所に入って西洋薬学を学び、現代で言う薬剤師として2年後に同所雇、明治元年(1868年)に東京大学病院雇、明治2年(1869年)に大学東校(現在の東京大学医学部)中司薬(職員)となり、明治4年(1871年)海軍病院薬局長となる。 その翌年の1872年、23歳の時には、官を辞して、民間初の洋風調剤薬局となる資生堂を銀座に開業。当時の日本にはなかった医薬分業を唱えた。1888年には日本初の練り歯磨き「福原衛生歯磨石鹸」を、1897年には化粧水「オイデルミン」を発売。1917年には化粧品部を独立させて、今日の資生堂の基礎を築いた。 また、1888年には、設立発起人として帝国生命保険(現在の朝日生命保険)の設立に加わり、社長として生命保険の普及に貢献した。1907年創立より関わっていた日本薬剤師会の第3代会長に就任。 1921年に緑綬褒章を受章〔20世紀日本人名事典 〕。 1920年に箱根に完成した福原有信の大規模な山荘は、初代資生堂社長で写真家でもある息子の福原信三がフランク・ロイド・ライトに設計を依頼し、1918年に設計されたものである 〔Wright in Japan 〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福原有信」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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