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福原 路草(ふくはら ろそう、Rosō FUKUHARA、1892年 - 1946年)は、第二次世界大戦前から戦後にかけて活躍した日本の写真家。おおむね、芸術写真(ピクトリアリスム)に分類される。人物写真よりも風景写真を得意とした。本名は「信辰」。資生堂初代社長・写真家の福原信三の弟にあたる。 1917年、慶應義塾大学文学部仏文科を卒業。 1921年には、東京で、福原信三、大田黒元雄、掛札功、石田喜一郎らと「写真芸術社」を結成し、月刊の写真雑誌である「写真芸術」を創刊した(1921年6月号から1923年9月号。関東大震災の影響で休刊)。 1922年には滞欧し、ロンドンでは写真家E.O.ホッペのスタジオも訪れたという。かなりの数の写真作品を収集し日本に持ち帰った。 1924年には、「日本写真会」の結成にも参加した。 福原路草の作品は、兄の福原信三の作品に比べると、総じて日本的な作品となっている。例えば、何もない空を背景として、縦長の画面で、葉がすっかり落ちて細い幹と枝だけになった木を2本撮影した作品などは、俳句的情感、または、侘び寂び、「空(くう)」といったものを示すような感じを醸し出している(1940年、「奥日光」。下記、「日本のピクトリアリズム 風景へのまなざし」展図録に図版が掲載されている)。 ==日本での展覧会== 日本で福原路草の個展が開催されたことは近年はあまりないが、福原信三との2人展、芸術写真を紹介するグループ展などでその作品が多く紹介されている。資生堂関係の展示施設(資生堂ギャラリーや資生堂アートハウス)でも作品が紹介されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福原路草」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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