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福岡第一飛行場(ふくおかだいいちひこうじょう)はかつて航空局が福岡県糟屋郡和白村(現在の福岡市東区)雁ノ巣に設置した飛行場。通称雁ノ巣飛行場。最盛期には大日本航空によって朝鮮、台湾、中華民国、東南アジアへの路線も開設され、戦前における日本最大の民間国際空港であった。 == 沿革 == 1930年(昭和5年)7月、福岡(大刀洗飛行場)-東京(羽田飛行場)間に定期旅客航空路が設けられたが、大刀洗飛行場は福岡市街地より1時間程度を要し利便性が低かった。当時福岡市近辺には水上機専用の名島水上飛行場があったが陸上機の運用が可能な飛行場が求められたため、市周辺より候補地を選定・調査、〔他に姪浜・小戸(現西区)、西戸崎(現東区)、竹下・席田(現博多区)、上長尾・金山(現城南区)、屋形原・若久(現南区)などが候補地とされた。〕1934年(昭和9年)雁ノ巣に決定された。 1935年(昭和10年)に着工し、翌1936年(昭和11年)総工費59万円〔うち国費35万円、県費12万5千円、市費7万5千円、その他財界からの寄付4万円であった。〕を掛け、敷地面積59万平方メートル、滑走路(600×30m)1本、海岸に水上機の滑走台(80m)と格納庫2棟が整備され開港した。1939年(昭和14年)からは博多湾鉄道汽船粕屋線(現在の香椎線)の線路を北側に移設するなど3カ年計画での大規模な拡張工事が行われ、総面積は開港時の倍以上の135平方メートル、滑走路は800m級2本の交差型となり、朝鮮・満州・台湾などへの連絡基地や国防上の要衝として重要度を増して行った。その一方で滑走路が800メートルと当時の標準的な長さであったため、大日本航空球磨号墜落事故の一要因になったとされる。太平洋戦争時には博多海軍航空隊が置かれるなど陸海軍共用となった。 戦後はアメリカ軍に接収され「ブレディ飛行場」(Brady Air Base、施設番号・FAC 5006)の名称で主に輸送部隊の飛行場として使用されたが、1961年(昭和36年)の日米合同委員会でキャンプ博多・ブレディ飛行場・西戸崎通信施設の三施設を統合し、「雁ノ巣空軍施設」(Gannosu Air Station、施設番号・FAC 5005)として在日米軍に提供することが合意された。また、朝鮮戦争後は一時的措置として自衛隊が落下傘降下訓練に使用したほか、西日本空輸や福岡県警などのレシプロ機やヘリコプターが滑走路や格納庫の一部を共同使用していた。1965年(昭和40年)から飛行場区域内に通信傍受用の大型アンテナとオペレーション施設の建設が始まり、共同使用の停止とともに滑走路の舗装が撤去されたため、事実上飛行場としての機能は終焉した。通信施設は1966年(昭和41年)2月に完成し、第14陸軍保安局フィールドステーション(14th U.S. Army Security Agency Field Station)、海軍保安群博多部隊(Naval Security Group Activity, Hakata)、空軍第6918保安中隊(Air Force Security Service 6918th Security Squadron)などアメリカ3軍の諜報部隊が共同で北朝鮮方面の軍事(電波)情報の収集・分析活動を行っていたが、アメリカの国防予算と海外展開兵力の削減によって施設は閉鎖され、飛行場部分は1972年(昭和47年)、雁ノ巣空軍施設全域は1977年(昭和52年)に返還された。 跡地は福岡市雁の巣レクリエーションセンター、福岡航空交通管制部(福岡ACC)および航空交通管理センター(ATMC)として整備されている。現在正門跡には記念碑が建ち、海岸に水上機用の滑走台が残っているほか、2002年(平成14年)まで格納庫が残っていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福岡第一飛行場」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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