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福岡藤次 : ミニ英和和英辞書
福岡藤次[ふくおか]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふく]
 【名詞】 1. good fortune 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [つぎ]
  1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station 

福岡藤次 ( リダイレクト:福岡孝弟 ) : ウィキペディア日本語版
福岡孝弟[ふくおかこうてい]

福岡 孝弟〔墓碑、戸籍謄本などによる(「福岡孝弟の墓」 )。〕(ふくおか たかちか、天保6年2月5日1835年3月3日) - 大正8年(1919年3月7日)は、日本の幕末から明治時代の土佐藩士、政治家。五箇条の御誓文を起草した人物である。通称は藤次、雅号は南蘋。栄典勲一等子爵
== 来歴 ==

=== 幕末 ===

天保6年(1835年)、土佐藩士・福岡孝順(180石)の次男として生まれる。安政元年(1854年)、吉田東洋の門下生として後藤象二郎板垣退助らと共に師事し、その薫陶をうけた。安政5年(1858年)、吉田の藩政復帰に伴って大監察に登用され、後藤らと若手革新グループ「新おこぜ組」を結成して藩政改革に取り組む。反主流派の土佐勤皇党を弾圧するなどしたが、文久2年(1862年)の吉田暗殺によって失脚する。
文久3年(1863年)、藩主・山内豊範の側役に就任して公武合体運動に尽力する。他方で坂本龍馬海援隊陸援隊と提携するなど、前藩主・山内容堂を中心に藩営商社・開成館を通じて殖産興業政策を推進した。
慶応3年(1867年)、参政に就任。幕府を中心とする公議政体論を藩論とし、大政奉還の実現に向けて薩摩藩との間に薩土盟約を締結する。同年、後藤とともに将軍徳川慶喜に大政奉還を勧告し、武力討幕派の薩摩藩や長州藩に対抗した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「福岡孝弟」の詳細全文を読む

英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Fukuoka Takachika 」があります。




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