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福島 九成(ふくしま きゅうせい〔『明治維新人名辞典』841頁。〕 / くせい〔『新編日本の歴代知事』95頁。〕、1842年(天保13年6月)〔 - 1914年(大正3年)9月12日〔『幕末維新大人名事典』下巻、372頁。〕)は、幕末の佐賀藩士、明治期の陸軍軍人・外交官・官僚。青森県令。通称・栄助、礼助〔。 ==経歴== 佐賀藩漢学者・福島文蔵の長男として生まれた。藩校・弘道館、致遠館(長崎)で学んだ〔。前山清一郎の従僕に選ばれ戊辰戦争に参加〔。参謀添役として奥羽を転戦した〔〔『百官履歴 下巻』390-393頁。〕。帰藩後、明治2年(1869年)佐賀藩庁に出仕し大弁務となり軍事部門を担当〔。 明治4年5月17日(1871年7月4日)清国へ留学を命ぜられ、1873年9月12日に帰国。1874年2月、陸軍少佐に任官。熊本鎮台在勤を経て、同年4月、台湾蕃地事務都督参謀に転じ、さらに廈門領事を兼務〔。台湾出兵収拾のため北京に赴いた全権弁理大臣・大久保利通のもとで清国政府との交渉で活躍〔。1976年11月、廈門領事専任となるが、1880年7月、厦門領事館廃止となり免官。同年12月、大蔵少書記官に就任〔。 1881年1月、内務少書記官に転任。1882年12月、内務権大書記官となる〔。1883年12月、青森県令に就任。地方行政の経験が浅かったが、古荘嘉門大書記官の補佐を受けて県政を執行した。1886年7月、県令を非職となる〔。1889年7月、非職満期となり退官〔「福島九成特旨叙位ノ件」〕。その後、実業界に入った〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福島九成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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