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福島幹線(ふくしまかんせん)とは、東京電力が建設した基幹系統の一つである。亘長の大半は50万Vでの送電が可能なように設計された。福島第一原子力発電所で発電した電力を超高圧外輪線に連系して首都圏に送電し、また、東北電力との電力融通に資する事を目的にしている。 == 建設の経緯 == 福島第一原子力発電所1号機の建設を開始した際、当初工事用の電力は東北電力富岡変電所から6万6000V、4500kVAで供給を受けていた〔工事当初の受電については右記。〕。しかしこれはあくまで工事用の小容量回線である〔本線開通前に福島原子力建設所が東北電力と結んだ契約最大電力は1000kWに過ぎなかった。 「表30 福島県における電力大口需要家一覧表(昭和43年6月30日現在)」〕。東京電力の管外、しかも従前に電源を設置したことの無い浜通りで発電所を建設したため、送電系統も新規に建設が必要であった。このため最初に着手された本格的な接続基幹系統が福島幹線である。 50万V送電の仕様が具体化したのは1960年代中盤のことだったが、当線が計画に加えられたのは1965年11月15日、東京電力で最初に建設された50万V基幹系統である房総線に次いで2番目のことで、計画時は福島原子力線とも呼ばれていた。電源である1号機の単機容量は最大でも46万kWに過ぎなかったが、電気出力について最終的な詰めを行う過程(詳細は福島第一原子力発電所1号機の建設)と同時期に公表されている〔「50万V送電時代へ 東電、2ルートを内定 原子力送電も含める」『読売新聞』1965年11月16日朝刊5面〕。 本幹線の工事準備は房総線が完成した1966年の後半にはじめられた。経過地選定では人家の密集地はなるべく避け、地質や気象条件の他、景観保護の観点からも検討が加えられた。当初は航空写真、次いで現地調査を重ねて関係地主の了解を取り付けて行った。経過地選定後は鉄塔建設地の地質調査や資材搬入方法について検討が始まった。また、当時は50万V幹線の黎明期であり、山間部を通過するものは本幹線が初であったため、個々の材料試験、鉄塔強度試験、風洞実験、耐アーク試験なども並行して続けられた。このような準備を3年近く重ねた後、本幹線は着工に至っている〔経過地選定過程は〕。 建設に当たって1969年2月15日、福島幹線建設所を設置し〔「最盛期を迎えた福島原子力建設工事」〕〔福島幹線建設所は水戸市内に設置された。建設所設置は同社送電線の工事としては異例で、工事が当時「東洋一」の規模であることに対応したものだった。〕、その後1969年3月に着工、全体区間を二期に区分して工事を実施、1970年3月31日に1回線、翌4月9日に1回線の官庁検査を終了し、どちらも即日で運転を開始している。送電開始当時の電圧は27万5000Vで、亘長約190kmの内約180kmについては同発電所の将来的な設備容量を考慮し、50万V送電を実施可能な設計とされた。経過地は殆ど標高200~800mの丘陵・山岳地帯である〔福島幹線の建設については〕。なお、1969年度初めに行われた同建設所からの発表では、総工費は190億円〔後年、原子力発電のコストを論じる際に、大島堅一のように送電線への投資を包含して論じる者が現れた。当線の場合物騰の上昇が恒常的な時代の建設であるため、後の時代との単純な比較は出来ないが、参考として同時期に建設された1号機の建設費は390億円であった。。〕であった〔「福島の原子力発電所から50万ボルト送電」『読売新聞』1969年4月9日朝刊13面〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福島幹線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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