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福島 忠勝(ふくしま ただかつ)は、江戸時代前期の大名。信濃高井野藩第2代藩主。福島正則の次男。 == 生涯 == 尾張の清洲城に生まれた。初名は正勝だが、2代将軍徳川秀忠の偏諱を授かり忠勝と名乗った。従兄弟の義兄・正之が没した後に嫡男となった。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣では父の正則は江戸城留守居役として江戸に留めおかれたが、忠勝は大坂に出陣した。翌慶長20年(1615年)の夏の陣は遅参したため、破壊された道や堤の修復を行った。 元和5年(1619年)、父の正則が幕命によって改易された時、将軍秀忠の上洛に随行していたが、父と共に信濃高井野に移った。この際に正則から家督を譲られた。 しかし翌年、父に先立って死去した。この時、正則は悲しみのあまり、越後国魚沼郡2万5000石を幕府に返上している。墓所は須坂市小河原の大乗寺。墓石には正勝と記されている。ほかに京都市妙心寺塔頭・海福院(正則創建)にも墓がある。 弟の正利が3000余石の旗本として福島氏を再興したが、のち嗣子なく断絶した。しかしその後、京に住んでいた忠勝の子・正長の長男で孫にあたる正勝が召し出され、小姓組番頭として仕え、以後福島氏は2000石の旗本として存続した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福島忠勝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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