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福島東幹線(ふくしまひがしかんせん)とは、東京電力が建設した基幹系統の一つである。亘長の大半は50万Vでの送電が可能なように設計された。計画時は先に建設された福島幹線の第二ルートと位置付けされ、同幹線と併行し、同線と同じく福島第一原子力発電所で発電した電力を超高圧外輪線に連系して首都圏に送電する事を目的にしている。本記事では下記の事情より新筑波線、第二大熊線についても記述する。なお、前述の事情から建設時には福島幹線の増設と位置付けされ工事名は「福島幹線第二ルート」だった〔。 == 概要 == 福島第一原子力発電所は東京電力の管外発電所のひとつであり、建設に当たって新たに接続基幹系統として福島幹線が建設された。しかし、続々と後続プラントが着工されると基幹送電設備についても発電所の出力増大に見合う容量とするため同発電所に接続する幹線を含め、基幹系統の拡充計画が逐次進められた。この内のひとつが福島東幹線である。 目的としては原子炉増設等、東部(福島)方面での電源開発に伴って同方面からの潮流が増大することに対応している。計画時には第二福島幹線とも呼ばれた。1970年7月21の『電気新聞』によれば工事前、本線は福島幹線の第二ルートとして1971年秋の着手を目標に準備が進められた。福島幹線での工事経験を活かし「線替なわし延線工法」「クライミング・クレーンによる鉄塔組立工法」を新たに導入することを計画した〔「福島幹線建設工事安全協議会」『電気新聞』1970年7月21日4面〕。 翌1971年になると着工は1972年度を予定に延期とも言われたが実際には1971年10月に着工した〔。1972年春の時点では同年12月運開、1974年11月昇圧の予定とされ〔「五十万Vの大外輪線 東電五十五年完成めざす」『電気新聞』1972年4月18日〕、予定通り1972年12月13日、官庁検査をパスし、営業運転を開始した〔「-東京電力-福島東幹線が運開 超々高圧50V網の一環」『電気新聞』1972年12月14日2面〕〔「東電 進展する流通設備近代化 建設経緯」『電気新聞』1975年5月8日3面〕。 なお新筑波開閉所は1973年12月に27万5000V運転で運開した〔。また、当線は当初1回線での運転であったが、1974年7月には2回線目を増架した〔。 昇圧工事は福島幹線同様に遅延し、1975年3月に発表されたより具体的なスケジュールによると準備を同年4月末より開始し、主要機器の総合調整、課電試験を実施後昇圧するとされた〔「長期安定供給の確立へ 東京電力、福島送電幹線 5月から50万Vへ昇圧」『電気新聞』1975年3月17日2面〕。実際には1976年6月に昇圧を完成した〔実際の昇圧実施時期は「電力の大動脈 50万V送電網の姿」『新電気』1979年7月P38掲載の一覧表による〕(なお同発電所3号機は1976年3月の運転開始だが、2号機で露呈したLPRMチャネルボックスの不具合対策のため運転開始が遅延した結果であり、運転開始前より60%出力での送電を1年半ほど継続していた。3号機の次に運転を開始したのは5号機で、1978年4月のことであった)。昇圧の際、新福島変電所にて引き込み用鉄塔1基を新設した〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福島東幹線」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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