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福永 祐一 (ふくなが ゆういち、1976年12月9日 - ) は日本中央競馬会 (JRA) 栗東所属の騎手である。父は現役時代「天才」と言われた元騎手の福永洋一〔毎日新聞 1996年3月1日 夕刊 7面〕、叔父に元騎手の北村卓士。妻は元フジテレビアナウンサーの松尾翠〔福永 フジテレビ松尾アナと結婚「式は年内の予定」 スポーツニッポン 2013年8月25日閲覧〕。 == 来歴 == 近江兄弟社中学校時代はサッカーをしていた〔毎日新聞 1996年3月2日 朝刊 24面〕。中学校二年次に騎手になることを決め、母の猛反対を説得して〔競馬学校に入学。昨年も受験するも、実技テスト前に骨折し、再受験〔読売新聞西部本社 1992年12月10日 夕刊 6面〕、近江兄弟社高校を中退し〔読売新聞 1996年2月16日 朝刊 17面〕、12期生として競馬学校へ進む。同期にはJRA初の双子騎手柴田大知・柴田未崎、JRA初の女性騎手細江純子・牧原由貴子、和田竜二などがいる。 1996年北橋修二厩舎でデビュー〔。3月2日の中京競馬第2競走でマルブツブレベストに騎乗し初騎乗初勝利を挙げると続く第3競走でもレイベストメントで勝利し、デビュー2連勝を飾る。この年は53勝を挙げ、JRA賞最多勝利新人騎手も獲得した〔。史上2人目のデビュー連勝であった〔毎日新聞 1996年3月4日 朝刊 21面〕。11月には1987年の武豊以来となる新人50勝を達成〔毎日新聞 1996年11月25日 朝刊 19面〕。 1997年7月22日、川崎競馬場 (スパーキングナイター) で行なわれた第44回エンプレス杯でシルクフェニックスに騎乗し重賞初制覇。同年11月15日にキングヘイローで東京スポーツ杯3歳ステークスに勝ちJRA重賞初勝利〔毎日新聞 1997年11月16日 朝刊 23面〕。 1999年の桜花賞でプリモディーネに騎乗しJRAGI初勝利〔。しかしその翌週、中京競馬場で施行された小倉大賞典 の本馬場入場の際に落馬事故で左腎臓摘出というけがを負う。7月に復帰し〔毎日新聞 1999年7月31日 大阪版夕刊 7面〕、朝日杯3歳ステークスを自厩舎の所属馬エイシンプレストンで制した。 2005年はフェブラリーステークスをメイショウボーラーで、桜花賞とNHKマイルカップをラインクラフトで、優駿牝馬をシーザリオで制したほか、フサイチリシャールで朝日杯フューチュリティステークスを勝利した。またシーザリオでは同年7月3日 (現地) アメリカ合衆国のハリウッドパーク競馬場で行われたアメリカンオークス招待ステークスにも優勝し、日本生産・調教馬初のアメリカG1競走優勝という偉業を成し遂げた。 2006年のエリザベス女王杯ではフサイチパンドラに騎乗。カワカミプリンセスに1位入線〔ゴールに馬体の先端 (脚部は含まない) が到達 (ゴール) すること。〕を許したものの同馬は審議の結果進路妨害で12着に降着となり、フサイチパンドラが2着から繰り上がり優勝〔。また同年に新設された阪神カップをフサイチリシャールで制し、初代王者となった。 2007年には、JpnI競走の優駿牝馬でローブデコルテに騎乗し優勝。2001年から7年連続のGI級競走 (GI・JpnI) 勝利となった。11月29日に兵庫県警察宝塚警察署から一日警察署長を委嘱され「年末特別警戒隊発隊式」に出席した。 2008年も順調に勝利数を重ねた。9月27日に8811戦目で父・洋一の通算勝利数 (983勝) に並んだ (洋一は5086戦目で983勝目をあげている) 。また、11月30日京都競馬場で行われた12Rでオリオンスターズに騎乗し中央競馬史上23人目となるJRA通算1000勝を達成した。また12月6日と7日に行われたワールドスーパージョッキーズシリーズ (WSJS) に、負傷した武豊騎手に代わっての出場。しかし、順調な勝利とは裏腹にこの年はGI競走での勝利がなく、連続勝利記録は7年で途絶えた。 2007年の優駿牝馬以来、GI競走での勝利から遠ざかっていたが、2010年の阪神ジュベナイルフィリーズで1番人気に支持されたレーヴディソールに騎乗し勝利。 2011年、札幌記念などサマーシリーズの3レースを勝ち、サマージョッキーズシリーズを2位に15ポイント差で優勝〔。また、ブエナビスタの妹ジョワドヴィーヴルにて阪神ジュベナイルフィリーズを連覇。岩田康誠との熾烈なリーディングジョッキー争いを制し、16年目で全国リーディングジョッキーとなると同時に、JRA史上初の親子での達成となった。 JRA賞最多勝利騎手は (地方競馬での) 中央・地方交流競走の勝利を含めた勝利数で上回った岩田が受賞し、福永はJRA賞最高勝率騎手を受賞した。 2012年、6月2日の鳴尾記念をトゥザグローリーで勝利、さらに翌日の安田記念をストロングリターンで勝利し2005年以来の牡馬牝馬混合GIを制覇。その勢いを持って同日に行われたユニコーンステークスもストローハットで勝利し史上初の同一週3重賞勝利を達成。宝塚記念後、8月末までアメリカへ遠征する〔福永祐一騎手がアメリカへ海外渡航 JRA公式サイト 2012年6月27日 2012年8月21日閲覧〕。なお、札幌記念でダークシャドウに騎乗するため、一時帰国した。 2013年3月、松尾翠(元フジテレビアナウンサー)と結婚することを発表し、8月20日に婚姻届を提出した。10月6日、毎日王冠でJRA重賞100勝を達成。10月20日、菊花賞で牡馬クラシック初制覇と同時に、父・洋一との親子制覇を達成した。さらに10月27日、天皇賞(秋)を制覇し、2週連続で八大競走親子制覇を達成した。菊花賞と天皇賞(秋)を同一年に連覇したのは1965年の栗田勝以来である。最終的に131勝を挙げ2011年以来となるリーディングジョッキーとなった。この年から始まった初代MVJに選ばれた〔ほか、中京開催で20勝し、中京開催リーディングジョッキーになった。。 2014年、3月29日のドバイデューティーフリーをジャスタウェイで勝利。 この年は118勝を挙げるが、全国リーディング4位となった。中京開催で19勝し、2年連続中京開催リーディングジョッキーになった。 2015年は、121勝を挙げリーディング1位を走っていたが、10月31日のスワンステークスにて、最後の直線でテイエムタイホーが斜行、接触し落馬した。これにより、右肩鎖関節脱臼、右鎖骨剥離骨折と診断されるが〔、精密検査の結果、右肩のじん帯断裂、右胸骨骨折も明らかになった。 怪我後2016年は2月13日の京都競馬で復帰し、7鞍に騎乗するも、勝利にはならなかったが、翌日の14日に復帰後初勝利を挙げた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福永祐一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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