|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 福 : [ふく] 【名詞】 1. good fortune ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 八 : [やつ] (num) eight
福田 太郎八(ふくた たろはち、1833年(天保4年)3月 - 1878年(明治11年)9月16日)は、江戸時代後期の地方人士(名望家)。幸周(ゆちきか)の諱もあるが、一般には太郎八の呼び名で知られる。家紋は四つ目菱。美濃国(岐阜県)出身。 ==経歴・人物== 美濃国加茂郡太田村(現・岐阜県美濃加茂市太田町)にて福田家第17代当主・幸哉の長男として生まれる。福田家は、慶長から名字帯刀を許可されたこの地方屈指の名門であり、中山道太田宿本陣、宿村取締役、総年寄、庄屋、木曽川留木裁許役として地方政治の重要な地位を占めていた。 幸周が社会に出て活躍し始めたのは、嘉永6年(1853年)、21歳のときに父の死去によって家督を継いで第18代当主となってからである。 幸周の思想と行動は、上を敬って奉公を第一に思い、下を慈しむ東洋道徳の精神を体得し、社会の弊害を取り除いて苦難から人民を救い、かつ人民に大きな利益を与えるために自らの資材を投じて自治、民政、産業、教育、慈善救済の他分野にわたって地方自治に奔走した。途中、明治維新の改革による数々の制度が移りゆく中でも、その志操は変わることなく益々固く、この地方に数々の功績を残した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福田太郎八」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|