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福田山 幸雄(ふくだやま ゆきお、1931年7月18日- )は、長崎県諫早市川床町出身で、かつて出羽海部屋に所属した大相撲力士である。本名は福田 幸雄(ふくだ ゆきお)。得意手は右四つ、上手投げ。最高位は西前頭4枚目(1961年7月場所)。現役時代の体格は181cm、94kg。 == 来歴・人物 == 少年時代は大変な悪童として地元でもよく知られ、諫早農業高校を濡れ衣の暴力事件絡みで中退後は、福岡市でトヨタ自動車の見習工として働いていた。だが、ほどなく退職。 その後、「相撲取りになってはどうか」と、父の知人から出羽海部屋付きの待乳山親方(元関脇・両國)を紹介された。 1949年春、上京して出羽海部屋に入門し、同年5月場所で初土俵。なお、初土俵の同期には、後の小結・時錦らがいた。 初土俵の場所では番付外で好成績を残し、途中からは新序に昇格したが、1勝2敗と負け越した。 しかし、同年10月場所の番付では序ノ口を飛び越し、序二段の地位に自らの四股名が載った。 なお、当初の四股名は「常若」で、これは当時の出羽海親方(元横綱・常ノ花)の現役名に因んでいる。「福田山」に改名したのは、1957年1月場所前である。 その後、1958年1月場所で新十両に昇進し、1959年3月場所で入幕を果たした。初土俵から10年近くを費やしての、待望の新入幕であった。 以降は一時十両に落ちた事もあったが直ぐに幕内に戻り、1961年9月場所まで、計15場所幕内を務めた。 その間、1960年3月場所では、入幕2場所目の大鵬から勝利を挙げている(大鵬はこの敗戦で、同場所での負け越しが決定。幕内在位全69場所中、皆勤した場所で唯一の負け越し場所となる)。なお、福田山は翌5月場所でも大鵬に勝ったが、以後は対戦の機会が無かった。そのため福田山は、大鵬と2回以上対戦して一度も負けていない唯一の力士として、記録に残っている。 この頃より痔を患い、大鵬に連勝するなど10日目まで1敗と絶好調だった前述の場所では、これにより13日目から休場の憂き目を見ている。痔は以後も福田山を苛み、力士として大成する機会をも奪う事となった。 現役晩年は幕下まで番付を落としたが、痔の苦しみに堪えつつ土俵に上がり続け、2度十両に返り咲くなど意地を見せた。 1965年1月場所後、33歳で廃業。 廃業後は帰郷して中華料理店に勤務し、再び東京に戻ってからは、中央区日本橋横山町でラーメン店を営んだ。 その後、魚市場に勤め、常の山が角界入りする切っ掛けを作っている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福田山幸雄」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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