|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 福 : [ふく] 【名詞】 1. good fortune ・ 田 : [た] 【名詞】 1. rice field ・ 子 : [こ, ね] (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
福田 昌子(ふくだ まさこ、1912年7月8日 - 1975年12月30日)は学校法人純真女子学園(現・学校法人純真学園)の創立者。衆議院議員。医学博士。福岡県築上郡吉富町出身。 == 生涯 == 1934年(昭和 9年)に東京女子医学専門学校(現東京女子医科大学)を卒業し、1940年(昭和15年)にヒスタミンの研究で医学博士号を取得した。これは満26歳という史上最年少の若さであった。 戦後の1947年(昭和22年)に、第23回衆議院議員総選挙に社会党から福岡県第1区で立候補して当選した。以後は連続5回当選している。同年に優生保護法を自ら執筆し〔ふくおか先人資料館 » 社会 » 福田昌子 優生保護法 〕、同じ社会党議員であった、加藤シヅエと太田典礼の3人で法案を提出した。翌年に、優生保護法は同じく医者で参議院議員であった谷口弥三郎の協力で成立した。 1949年(昭和24年)、朝日新聞主催の座談会で「大体人類というものが一定不変の定律であるかどうか宗教が万人の犯すべからざるものかどうかを考えてみなければならない、日本の現状を考え、その置かれた立場を認識し、産児制限の是非論を戦わせなければならない、日本の現状からして残された人口政策がたった一つの対策として産児制限以外ないといえば、いやでも誰でも賛成しなければならない」と主張し、産児制限を正当化した〔解決迫られる人口問題 「産制」に二つの意味“人口の漸減”と“社会の浄化” 本社主催座談会 朝日新聞 昭和24年5月15日〕。 1956年(昭和31年)に学校法人純真女子学園を設立して純真女子高等学校が開校し、初代理事長に就任した。1957年(昭和32年)に学校法人名を学校法人福田学園と改称し、純真女子短期大学(現・純真短期大学)が開学してその学長に就任。1966年(昭和41年)には 純真女子高等学校を男女共学制に変更した。同年、福田学園中学校が開校した。1967年(昭和42年)に東和大学が開学。1968年(昭和43年)に、福田学園中学校・純真女子高等学校を東和大学附属東和中学校・高等学校と改称した。 1975年12月30日に死去した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「福田昌子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|