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禰寝氏(ねじめし〔表記は多様で、「禰占氏」「祢占氏」「根占氏」「祢寝氏」「寝占氏」などとも綴る。〕)は、大隅国の有力国人、戦国大名、のち薩摩藩士の氏族。 禰寝氏は中世には豪族として角、西本、池端、山本氏など、また近世初期では入鹿山、武などの別の名字を名乗る20家門ほどの庶流を輩出した。同氏直系は江戸時代中期に先祖に当たると目された平重盛の号にちなみ「小松氏」と改姓した。江戸期には、「歴代当主」の項に明らかなように古代・中世から続く連綿とした宗家の血の流れは途絶えたが、宗家を支える御三家、禰寝・松沢(庶流の最も古い一門)、禰寝・西本(時に西元とも)、禰寝・角などは他の庶家とともに一族の歴史的記憶に重要な役割を果たし続け、現在に至っている。 == 出自 == 大隅国禰寝院(現在の鹿児島県肝属郡錦江町(旧大根占町はその一)及び南大隅町(旧根占町">根占町はその一))を領したことが、名字の由来である。 江戸時代に直系は「平重盛の孫・平高清の末裔」であることを主張したが、鎌倉時代、室町時代の公式文書にはすべて「平姓」(平氏)ではなく「建部姓」(建部氏)で署名していること、平高清の没年と禰寝氏初代・清重の地頭職就任年が同年であることから見て疑わしい。平氏末裔を主張した背景には島津光久後室・陽和院殿の養家である平松家とのつながりが深くなったことが背景にあるのではという説がある〔村山知一編『近世・祢寝文書』〕。またこの江戸時代には源氏を名乗る島津氏が禰寝氏本流を受け継いでいたため、血縁的には中世の禰寝氏とつながらず、より大きな、しかも周知の姓、平姓にしたかったことも一因であろう。 建部姓禰寝氏の先祖は遠く大宰府の在庁官人であり、禰寝氏(小松氏)が同じ鹿児島の島津氏よりも出自が古いことは歴然としている。このように史料をもって古代に遡りうる氏族は稀である。〔原口泉鹿児島大学教授『龍馬を超えた男小松帯刀』(グラフ社及びPHP文庫〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「禰寝氏」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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