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禹長春(ウ・ジャンチュン、、通名:須永 長春(すなが ながはる)、1898年4月8日 - 1959年8月10日)は、農学者(農学博士)、育種学者。 韓国農業の父と呼ばれる。 == 来歴・人物 == 父は乙未事変(朝鮮国王王妃閔妃暗殺事件)に参加した軍人・禹範善。範善が日本に亡命し日本人女性・酒井ナカと結婚、日本で生まれたのが禹長春である。出生地については東京赤坂説〔西脇真一、「忘れ得ぬ人々:日韓併合100年1:農業の偉人 父は国賊」『毎日新聞』、2010年2月12日、13版、9面。〕と広島説がある。育ったのは広島県呉市である。父の範善は閔妃を暗殺したため〔姜 2006 p.255〕、1903年11月24日〔姜 2006 p.256〕、禹が6歳の時にかつて閔妃に仕えていた高永根に呉で暗殺された。 禹は、広島県立呉中学校(現広島県立呉三津田高校)を卒業。数学が得意で京都帝国大学工科大学(工学部)を目指し旧制高校進学を希望したが、朴泳孝の支援で学費を支給する朝鮮総督府から東京帝国大学農科大学(農学部)実科〔東京帝国大学農科大学実科は旧制専門学校相当の課程で、東京帝国大学農科大学(農学部)本科ではない。東京帝大農学部実科は、1935年に東京高等農林学校(新制東京農工大学農学部の前身)として独立した。〕への進学を指示されそれに従った。1919年に同校を卒業。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「禹長春」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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