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秀ノ花行秀 : ミニ英和和英辞書
秀ノ花行秀[ひでのはな ゆきひで]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [はな]
 【名詞】 1. flower 2. petal 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 

秀ノ花行秀 : ウィキペディア日本語版
秀ノ花行秀[ひでのはな ゆきひで]
秀ノ花 行秀(ひでのはな ゆきひで、1965年2月10日 - )は、山梨県韮崎市出身で放駒部屋(入門時は花籠部屋)に所属した元大相撲力士。本名は菊島 行秀(きくしま ゆきひで)。身長185cm、体重144kg。最高位は東十両5枚目(1988年7月場所)。
== 人物 ==
中学卒業後の1980年3月場所に花籠部屋へ入門。輪島に出会ったことがきっかけであり、山梨県からの新弟子自体が少ないことからもそれ以前はまさか自分が入門するとは思っていなかったという。同期生には関脇琴富士粂川を経て現・タレント)や幕下付出デビューで同部屋に入門した十両花嵐(現・プロレスラー大黒坊弁慶)がいる。入門から約8年後の1988年5月場所で新十両、この場所11勝4敗の成績で同期生の琴富士と決定戦の末、いきなり新十両優勝を果たす。新十両優勝は1979年9月場所の琴千歳世話人を経て現・若者頭)以来約9年振りの快挙であった。翌7月場所は自己最高位に昇進し幕内を目指していたが、場所前に放駒部屋へ出稽古に来ていた当時日本大学4年生の山崎直樹(後の幕内大翔山)と稽古した際に左膝内側側副靱帯損傷の大怪我を負う。不幸なことに本場所中の怪我ではないので公傷制度が適用されず7月場所を無理をして出場したものの初日から10連敗し11日目から休場。翌9月場所から三場所連続休場し番付を東三段目83枚目まで下げたが、復帰場所の1989年3月場所で三段目優勝を果たした。しかし怪我の後遺症が再発し同年11月場所から二場所連続休場、再度の復帰場所である1990年3月場所には番付を西序二段78枚目まで下げたがその場所では序二段優勝を果たし格の違いを見せた。その後も怪我と戦いながら懸命の土俵を務め1992年3月場所には西幕下10枚目まで番付を戻したが、結局最後まで怪我の後遺症が響き十両復帰を果たせずに1994年3月場所限りで廃業した。なお、1990年11月場所より翌1991年7月場所まで関取経験者としては異例の弓取りを務めている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「秀ノ花行秀」の詳細全文を読む




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