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秀良親王(ひでながしんのう/ひでよししんのう、弘仁8年(817年) - 寛平7年正月23日(895年2月21日))は、平安時代初期から中期にかけての皇族。嵯峨天皇の皇子。母は皇后橘嘉智子。官位は二品・上野太守。 == 経歴 == 天長9年(832年)冷泉院で元服して三品に叙せられ、同年没官書1693巻を与えられている〔『日本後紀』天長9年5月29日条〕。 天長10年(833年)同母兄・仁明天皇の即位後まもなく中務卿次いで弾正尹に任ぜられる。その後、仁明朝前半において、承和2年(835年)大宰帥、承和7年(840年)二品と叙任されている。一方、叙任記録以外にも、承和元年(834年)橘奈良麻呂の乱の際に没官されていた故橘奈良麻呂の蔵書480余巻について、外戚の財産であることを理由に賜与された〔『続日本後紀』承和元年10月4日条〕、あるいは仁明天皇の皇子(成康親王)誕生を祝って清凉殿で奉献を行った〔『続日本後紀』承和3年12月25日条〕、などの活動記録が『六国史』に残っている。 承和9年(842年)承和の変が発生して甥の道康親王(のち文徳天皇)が皇太子に冊立されて間もなく、業良親王は上野太守に転じる。それ以降は秀良親王に関する記録は少なく、貞観13年(871年)干魃のため親王家の邸宅の池水を百姓田の灌漑に利用した〔『日本三代実録』貞観13年5月22日条〕、元慶7年(883年)摂津国河辺郡の墾田1町3段160歩が不当に班田使に収公されたことを訴え出て親王家に返却された〔『日本三代実録』元慶7年10月10日〕、などが『六国史』にわずかに記載されているのみとなっている。 長命を保ち、兄仁明天皇から数えて六代目に当たる宇多朝の寛平7年(895年)正月23日薨去。享年79。〔『日本紀略』〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秀良親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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