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「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。 世界中に今現在 沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?) この問いには色々な名称がある。たとえば「私の問題(わたくしの-)」、これは日本の哲学者永井均が使用する山括弧付きの〈私〉という表記法を使って「〈私〉の問題(やまかっこつきのわたしの-)」と表記されることもある。またオーストリラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「意識の難問(The Hard Problem of Consciousness)」という概念と対比させて「意識の超難問(The Harder Problem of Consciousness)」〔三浦俊彦 (2002)〕〔Tim Roberts (2007)〕と言われることもある。また、問いの内容が「なぜ今、ここなのか?」というものであることから、「今・ここの問い(いま・ここの-)」と言われることもある。 日本のいくらかの心理学者たちは、この問いを心理学的な観点から研究している。といっても哲学者たちがしているように思索を通して問いを論じている、というわけではなく、この問いを発する人間の心理状態について、アンケートや聞き取り調査などを通じて統計的・科学的に調査・分析する、という形で研究を行っている。こうした心理学的な研究の文脈の中においては、「なぜ私は私か?」といった問いを発する心理状態・経験のことは「自我体験(Ego experience)」と呼ばれている〔渡辺恒夫 (2004)〕〔天谷祐子 (2011)〕。 == 概要 == この問題において問われていることは、あまりにも当たり前のことである。あまりにも当たり前すぎて、日常の社会生活においては、このことは全く問われることなくすまされている。とはいえこれは哲学者だけが問うてきた問いではなく、むしろ普通の人がそれぞれの人生の中でふと出会う問いのひとつである。すべての人がこの問いと出会うわけではないが、渡辺が日本の全国の大学生を対象として調査した結果では、およそ10人に一人に近い高率で、この種の問いが発生していたという。また、こうした問いを初めて体験する時期については、天谷の調査よれば、小学校後半から中学一年生を中心とした時期が多いと言う〔天谷祐子 (2011), p.80〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「なぜ私は私なのか」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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