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私塾立命館(しじゅくりつめいかん)は、西園寺公望が明治2年(1869年)に京都御所内の私邸に開設した家塾である。 == 概要 == === 賓師 === 私塾立命館の賓師として迎えられたのは、当時の著名な漢学者たちであった〔立命館大学西園寺公望伝編纂委員会 編「西園寺公望伝 別巻2」p.384 岩波書店 ISBN 4-00-008796-7 C3023〕。西園寺公望は、「教師には朱子学者、水戸学の儒者をむかえ、文章家として聞こえた人もあった。(略)京都にいる漢学者のえらい所をぬき集めたという形だった」と述べている(木村毅編『西園寺公望自伝』)。実際に、賓師として確認されているのは、江馬天江、広瀬青邨、松本士竜(松本巌)、富岡鉄斎、神山鳳陽(四郎)らである。明治3年(1870年)、広瀬青邨が西園寺の詩文会に招かれたとき同席していた者には、尊攘運動に加わって岩倉具視の知遇をえていた山中静逸、江馬天江の実兄で、池田屋事件で投獄される板倉槐堂(淡海竹洲)、本草学者山本亡羊の子で漢方医だった山本秀五郎(秀夫)や浜崎廉太郎(直全)らがあったほか谷口靄山らも参加していたとされるから、この中にも賓師として迎えられたものがあったと思われる(「青邨公手沢日記」)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「私塾立命館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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