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秋元喬知 : ミニ英和和英辞書
秋元喬知[あきもと たかとも]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 

秋元喬知 : ウィキペディア日本語版
秋元喬知[あきもと たかとも]

秋元 喬知(あきもと たかとも)は、江戸時代前期から中期の大名甲斐谷村藩主、武蔵川越藩主。老中元禄12年(1699年)から正徳4年(1714年)まで務めた。川越藩秋元家初代。実父の戸田忠昌、実弟の戸田忠真共に老中を務めた。
== 生涯 ==
下総佐倉藩戸田忠昌の長男。男子のなかった外祖父の谷村藩主秋元富朝の養子となる。奏者番から寺社奉行若年寄老中を歴任する。5代将軍徳川綱吉、6代将軍・家宣の2代にわたって仕えた。土木行政に手腕を発揮し、江戸城三の丸建設や護国寺寛永寺中堂、厳有院仏殿などの造営奉行、元禄大地震の復興総奉行を担当した。また好学の名君であり、将軍綱吉に進講することもあった。
綱吉亡き後に将軍になった家宣の側近である新井白石間部詮房正徳の治を支持した数少ない閣老であり、老中退任後も白石・詮房派として閣内に隠然たる影響力を残した。宝永4年(1707年)に八瀬童子天台座主公弁法親王の争いに裁定を下し、宝永5年(1708年)には禁裏造営奉行を、白石が発議した正徳金鋳造の総奉行を担当した。
甲斐国谷村藩主時代の秋元氏は、甲斐都留郡における用水堰の開発や郡内織の生産奨励などを行っているが、喬知の時代には河口湖から新倉村(富士吉田市)まで用水を引く新倉掘抜を着工したと言われている。川越藩主としては殖産政策で知られる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「秋元喬知」の詳細全文を読む




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