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秋元正博 : ミニ英和和英辞書
秋元正博[あきもと まさひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 
: [げん, もと, がん]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 4. (2) former 
: [ただし, せい, しょう]
 【名詞】 1. (logical) true 2. regular 
: [ばく, ひろ]
  1. (n,n-suf,vs) doctor 2. Ph.D. 3. exposition 4. fair 5. exhibition 6. commanding esteem 7. winning acclaim 8. gaining 9. receiving 10. command esteem 1 1. win acclaim 12. gain 13. receive

秋元正博 : ウィキペディア日本語版
秋元正博[あきもと まさひろ]
秋元 正博(あきもと まさひろ、1956年9月3日 - )は日本の元スキージャンプ競技選手。北海道札幌市出身。明治大学政治経済学部卒。現役時代は地崎工業に所属。
== スキージャンプ ==
1970年代後半より1980年代中盤にかけて、八木弘和とともに日本スキージャンプチームの中心選手として活躍した。また、スキージャンプ・ワールドカップでは国内開催以外での日本勢初勝利も含め4勝しているが、うち2勝はマッチ・ニッカネンなど海外のトップ選手も出場した中でのものであるため当時としては非常に価値が高い物となっている。
1980年2月のレークプラシッドオリンピック70m級では、同点2位の八木弘和とマンフレート・デッケルトにわずか0.7点差の4位入賞だった。あと50cm長く飛んでいれば、八木らと同じ銀メダル相当の出来となり、表彰台に日本選手が2人上がることができた。また90m級では公開練習、トライアルではともに3位以内をキープし、日本選手で初の90m級でのメダル獲得が期待されたが、本番では失敗して10位に終わった。
しかしその後、3月にストラブスケプレソ(チェコスロバキア)でのW杯90m級で優勝。日本人選手では初めての、日本国外での快挙だった。
次の1984年2月のサラエボオリンピックでも、八木と共に日本選手で最もメダルに近いと言われていた。しかし1982年、北海道瀬棚町で運転中、交通死亡事故を起こして逮捕されてしまう。その影響で約1年間試合出場停止処分と下され、サラエボ五輪シーズンは国内試合のみに限って出場が許されたが、結局文部省の圧力などもありサラエボ五輪は自ら出場辞退を宣言した。
秋元が出場しないことについては、オリンピック直前の札幌で行われたW杯で長岡勝などの五輪組が闘争心に欠ける不甲斐ないジャンプをしていたことから、中村全日本連盟ジャンプ部長やオーストリアのライナーコーチにも残念がられた〔闘争心欠ける五輪代表組 1984年1月23日朝刊17ページ〕。
そのリベンジを賭けて1985年2月10日大倉山でのワールドカップ札幌大会に出場、1本目7位だったが、雪が勢いを増した2本目、イェンス・バイスフロクマッチ・ニッカネンといった1本目上位の世界の強豪が次々と失速する中、ワックスマンを手がけた伊藤龍治の努力もあり1キロ以内の減速に止めた秋元が優勝した〔1985年2月11日 日刊スポーツ 9面など各紙紙面〕。
だが1986年3月8日オーストリアので行われたスキーフライング世界選手権第1日の2本目、空中で大きくバランスを崩して大転倒、右足首を複雑骨折する重傷に見舞われた。競技継続が絶望視されたが、執念のリハビリで翌年復活、復帰戦となった第58回宮様スキー大会国際競技会で3位に入り、伊藤杯 宮の森ナイタージャンプ大会では優勝した。なお、この事故の原因は横からの突風に加え秋元のフライングヒルには適さない癖のあるジャンプフォームにもあった〔1986年3月9日 日刊スポーツ 7面など各紙紙面〕。その後日本ではしばらくの間「ジャンプは危険なスポーツ」との偏見がつきまとうようになってしまった。
その後も好成績を残したが1988年カルガリーオリンピックメンバーから漏れ落選。翌1988年-1989年シーズンをもって原田雅彦葛西紀明らと入れ替わるように現役を退いた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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