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秋山万可斎(あきやま まんかさい、生年不明〔丸島(2007)、p.235〕〔丸島(2015)、p.25〕 - 天正10年(1582年)3月〔〔)は、戦国時代の武将。甲斐武田氏の家臣。室は武田勝頼の生母・諏訪御料人の侍女〔。子に昌成〔。「万可斎」は斎号〔。 == 略歴 == 『甲乱記』によれば、万可斎は尾張国の牢人で、もとは小牧新兵衛を名乗っていたという〔〔。武田家に仕官すると秋山姓を与えられ、勝頼生母の侍女を室とする〔〔。 初出は永禄7年(1564年)6月13日付の武田信玄書状(「尊経閣文庫所蔵武家手鑑)で、美濃国の国衆である遠山氏への使者を務めている〔〔。元亀元年(1570年)、武田氏と尾張の織田氏が美濃国神箆(こうの、岐阜県瑞浪市)で衝突した際には、防衛に寄与した遠山右京亮のもとへ派遣されている〔。遠山氏麾下の国衆・小里氏が武田氏から離反した際には遠山景任・直廉兄弟のもとへ派遣され、遠山民部入道の帰属に関する交渉の際にも派遣されている〔。 こうした動向から万可斎は尾張出身者の経歴を活かし、遠山氏との連絡役を任されたと考えられている〔。また、万可斎の室が勝頼生母の侍女であるほか、遠山直廉の娘は勝頼正室となっており、勝頼の時代にも重用された〔〔。子の昌成も跡部勝資・長坂光堅とともに勝頼の有力側近となる〔。 『信長公記』『甲乱記』によれば、天正10年3月の織田・徳川勢の武田領侵攻に際しては、郡内領主の小山田信茂と共に勝頼から離反したという〔。小山田信茂は織田氏に出仕するが処刑されており、万可斎も捕縛され昌成と共に古府中で処刑されている〔〔平山(2015)、p.58〕。孫にあたる昌成の子・内記も信濃国高遠(長野県伊那市)で処刑されている〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋山万可斎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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