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秋山 徳三郎(あきやま とくさぶろう、1891年2月22日 - 1968年2月26日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 == 経歴 == 兵庫県青垣町(現:丹波市)おいて、秋山宝右衛門の二男として生まれる。柏原中学校卒を経て、1912年(明治45年)5月、陸軍士官学校(24期)を卒業。同年12月、工兵少尉に任官し工兵第10大隊付となる。1915年(大正4年)12月、陸軍砲工学校高等科を卒業。さらに陸軍派遣学生として東京帝国大学工科大学土木科で学び1919年(大正8年)7月に卒業した。その際、南清博士奨励記念賞を受賞している。〔『技術中将の日米戦争』、84-85頁。〕 1920年(大正9年)4月、陸軍築城本部員となり、英仏駐在を経て、1924年(大正13年)10月、イギリス工兵校を卒業。1926年(大正15年)8月、陸軍省軍務局課員に発令され、陸軍技術本部イギリス駐在官、関東軍特務部員(満州国国道局顧問)、陸軍航空本部員を経て、1935年(昭和10年)8月、工兵大佐に昇進し兵器局器材課長に就任。 1936年(昭和11年)8月、兵器局機械課長となり、電信第1連隊長を経て、1938年(昭和13年)7月、陸軍少将に進級し工兵監部付となる。同年12月、航空本部第2部長兼大本営野戦航空兵器長官に就任し、1941年(昭和16年)8月、陸軍中将に進み太平洋戦争を迎えた。 1942年(昭和17年)2月、工兵監部付となり、同年8月、築城本部長に就任。兼飛行場設定練習部長を経て、1943年(昭和18年)12月、中国軍需監理部長となり、1944年(昭和19年)11月、陸軍燃料本部長に就任し終戦を迎えた。1945年(昭和20年)11月に復員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋山徳三郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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