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秋山 政司(あきやま まさし、1924年1月8日 - 1980年9月)は、日本の元プロボクサー。東京都出身。東洋ライト級、日本ライト級の元王者。日本王座防衛19度の大記録を持つ。左のボクサーファイター。引退後は、報知新聞のボクシング記者としてリングサイドからボクシング界を見守ったが、1980年9月、急性リンパ性白血病のため、56歳で死去。 * 1950年、日本ライト級王者(19度防衛) * 1954年、東洋ライト級王者 * 1955年、東洋ライト級王者 == 主な戦績 == * 1940年7月、極東ジムよりプロデビュー。「お嬢様ボクシング」と揶揄されるほどの消極的な戦い方で、日本王座を獲得するまでの9年間の成績は、17勝17敗3分、日本タイトル戦2敗と平凡以下の選手であった。 * 1944年1月25日、堀口恒男(ピストン堀口)に10回判定負け。 * 1950年4月8日、椎名勇夫(高千穂)に判定勝ち、日本ライト級王座獲得。以降、まるで人が変わったような快進撃を始める。 * 1950年6月29日、「大学の虎」後藤秀夫(坂口)に判定勝ち、日本王座の初防衛。 * 1951年9月20日、山野井清次郎(青木)に判定勝ち、日本王座5度目の防衛。 * 1953年2月14日、風間桂二郎(オール)に判定勝ち、日本王座10度目の防衛。 * 1953年3月1日、チャムルーン・ソンキトラット(タイ)の持つ東洋ライト級王座に初挑戦。12回判定負け。 * 1953年8月29日、後の東洋フェザー級王者、金子繁治に2回TKO勝ち、日本王座13度目の防衛。 * 1953年11月26日、後の世界ジュニアライト級(現・スーパーフェザー級)王者、フラッシュ・エロルデ(フィリピン)に判定勝ち、日本王座14度目の防衛。エロルデとは、この試合を含め、3回対戦して2勝1敗。 * 1954年1月5日、小坂克己(日東)に6回TKO勝ち、日本王座15度目の防衛。 * 1954年3月30日、東洋ライト級王座に挑戦。トミー・レルマ(フィリピン)に12回判定勝ちし王座獲得。 * 1954年9月20日、ボニー・エスピノサ(フィリピン)に判定負け、東洋王座の初防衛に失敗。 * 1955年2月16日、日本王座防衛戦。戸波正治(鈴木)に10回判定勝ちし、日本王座19度防衛の偉業達成。これは、1995年3月に上山仁(新日本木村)に破られるまでの日本記録であった。 * 1955年7月15日、東洋ライト級王座に挑戦。オムザップ・ナルファイ(タイ)に6回TKO勝ちし王座獲得。 * 1955年8月25日、東洋王座の初防衛戦。17歳の天才ボクサー沢田二郎に4回TKO負けし王座陥落、いったん控え室に引き揚げた後、リングに戻り、そこで引退を表明した。日本王座獲得後の戦績は59勝12敗5分と、まさに別人であった。 最終戦績76勝(25KO)29敗8分。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋山政司」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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