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東京都立秋川高等学校(とうきょうとりつ あきかわこうとうがっこう)は、かつて東京都あきる野市下代継(しもよつぎ)にあった全寮制都立高等学校。 == 概要 == 1965年(昭和40年)開校。校名は、秋川渓谷に由来する。東京都唯一の全寮制普通科高等学校であった。イギリスの全寮制名門校イートン・カレッジをモデル〔『全寮制秋川高校の36年 -閉校記念誌-』東京都立秋川高等学校、2001年3月10日、121, 132, 141, 147, 156頁。〕とし、本格的なパブリック・スクールを目指した。 入学試験は学校群やグループ選抜には組み込まれず、一貫して単独選抜で行われた。 本校を象徴するのが、校内を南北約150mにも及ぶメタセコイア(あけぼの杉)の並木道である。開校時生物学の担当教諭だった宗方俊彦監修のもと一期生が植樹したもので、植樹当時高さ1m程の苗木が、閉校時にはにまで成長していた。本校の校旗と校章はメタセコイアの葉をモチーフにデザインされたものであった。また、正門には「メタセコイアの碑」が設置された。 開設当初は、海外や他府県に出張または在勤する者の子弟、全日制高校がなかった伊豆諸島出身者〔「モヤイの島は今-第2部-秋川高OBの絆今も 」 『読売新聞』2013年3月27日〕を想定し受験資格を限定していたが、入学希望者が減少したため1969年度からは家庭環境に問題のある者にも門戸を開放した。その結果、寮内で喫煙や暴力事件が度々発生して学力が低下、中途退学する生徒が相次いだ。 停学又は家庭謹慎(喫煙・飲酒・無断外泊等)を2度犯すと、その時点で無期停学処分が課せられた。これは事実上の退学処分〔としてマスコミに取り上げられることもあった。 1987年校長に就任した宗方俊彦は受験者増加の施策として、募集ポスターの製作、中学校への訪問などを行った。また、東京都も同時期に寮、体育館の建て替えを行ったこともあり、一時は受験者数が上昇したが、再び減少に転じた。 募集定員は開設当初240名であったが、受験者減少により1994年に160名、1995年より120名、1997年からは80名まで縮小、1998年より新規募集停止、2001年3月第34期生の卒業をもって閉校した。卒業生の累計は5,715名であった。 閉校前年の2000年、三宅島の噴火災害による全島避難のため、都立三宅高校を本校と併設。また、三宅村立三宅中学校、三宅村立三宅小学校の臨時分校を併設した〔平成12年(2000年)三宅島噴火災害誌 本編 第2章 緊急火山情報から全島避難 東京都、2007年3月、90頁。〕。この措置は2007年3月31日まで行われたため、本校閉校後に体育・福祉を主たる目的とした中高一貫の都立全寮制学校を開設する計画は中止となった。 三宅島の分校閉鎖後は、地元のサッカークラブなどがグラウンドを暫定使用していたが、2009年3月31日限りでに暫定使用を終了して同年夏に本校施設を解体することになったため、同年6月28日、「秋川高校の施設とのお別れの会」が開かれ1,000名を超える卒業生や関係者が集った〔AKIKAWA50(秋川高等学校 創立50周年記念の会)ご案内 秋川高校同窓会、2015年6月。〕。参加者は施設を見学した後、玉成寮寮歌を合唱して施設への別れを告げた。施設は解体されたが、メタセコイア並木は保存されている。跡地利用は2015年現在、決まっていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「東京都立秋川高等学校」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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