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秋月辰一郎(あきづき たついちろう, Tatsuichiro Akizuki, 1916年(大正5年) - 2005年(平成17年))は、日本の医師で、元長崎聖フランシスコ病院院長。長崎へ原爆が投下された当時、自らも被爆しながら、医師として負傷した被爆者の治療にあたった。また、医師のかたわら、原爆の証言の収集を長年に渡って行った。 ==来歴== *1916年(大正5年)1月3日 - 長崎市万才町に誕生。 *1935年(昭和10年)- 長崎県立長崎中学校を卒業。(19歳) *1940年(昭和15年) *3月 - 京都帝国大学医学部を卒業。(24歳) *6月 - 長崎医科大学(現 長崎大学医学部)物理的療法科の助手となり、当時部長で助教授の永井隆のもとで研究を行う。 *1941年(昭和16年)- 高原病院に勤務。(25歳) *1944年(昭和19年)- 長崎浦上第一病院(現 聖フランシスコ病院)医長に就任。(28歳) *1945年(昭和20年)8月9日 - 病院(爆心地から北東に1.4km)で勤務中に被爆。負傷した被爆者の救護にあたる。(29歳) *1949年(昭和24年)6月 - 長崎県北高来郡湯江町(現諫早市高来町)にて開業。(33歳) *1951年(昭和26年)12月 - 湯江町立診療所に勤務。(35歳) *1952年(昭和27年)4月 - 聖フランシスコ病院院長に就任。(36歳) *1968年(昭和43年)11月 - 日本医師会最高優功賞を受賞。(52歳) *1972年(昭和47年) *4月 - 吉川英治文化賞を受賞。(56歳) *11月 - 長崎県民表彰を受ける。 *1976年(昭和51年)4月 - 長崎市市政功労表賞を受賞。(60歳) *1982年(昭和57年)- 国連軍縮特別総会に日本代表として出席〔市制百年 長崎年表 (長崎市役所、1989年(平成元年)4月1日)〕。(66歳) *1985年(昭和60年)2月 - ローマ法王ヨハネ・パウロ2世より、聖シルベストロ教皇騎士団勲章が授与〔長崎県内では片岡弥吉に次いで2番目の受賞。〕。(69歳) *1986年(昭和61年)1月 - 聖フランシスコ病院顧問に就任。(70歳) *1994年(平成6年)5月 - 勲四等瑞宝章が授与。(78歳) *1995年(平成7年)- 永井隆記念賞を受賞。(79歳) *2005年(平成17年)10月20日 - 死去。(89歳) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋月辰一郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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