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秋田内陸縦貫鉄道株式会社(あきたないりくじゅうかんてつどう)は、秋田県北秋田市に本社を置き、同県で秋田内陸線を運営する第三セクターの鉄道会社。 == 概要 == 第1次特定地方交通線に指定された角館線、第2次特定地方交通線に指定された阿仁合線及び両線を結ぶ日本鉄道建設公団建設線(鷹角線)を引き継ぎ、一体的に運営するために設立された秋田県及び沿線自治体等が出資する第三セクターである〔。 1986年、南北の既開業線を分断されたまま転換を受け暫定開業〔。国鉄から気動車を借入れて営業を行ったが〔、1989年に両線を結ぶ新線が開業し、阿仁合線開業以来半世紀以上を経て、沿線住民の悲願がかなうこととなった。 全通と同時に専用車両を用いた急行「もりよし」の運行を開始し、女性車掌や運転士を採用するなど話題を提供したが、100km近い長大路線であるうえ、沿線人口も少なく、もともと人的交流の少ない地域に敷設されたこともあって、厳しい経営が続いている。このため、存続かそれともバス代替かという議論は、県知事選挙や沿線で開かれる座談会などで必ずといってよいほど取り上げられるテーマでもある。 2008年9月、秋田県庁で県知事(当時)の寺田典城、北秋田市市長の岸部陞、仙北市市長の石黒直次らが秋田内陸線の存廃問題を協議した結果、2012年度まで内陸線を存続させることで合意した。同年度までの5年間の経営実績を踏まえ、存続させるかどうかを再度検討するとした。また、内陸線の安全対策工事費などの補助金を国から得て、2009年度から事業を始め、内陸線の老朽化した橋やトンネル、線路の改修、車両の修理に充てるとのこと。 だが、依然として厳しい経営が続いていることには変わりない。 2009年6月30日に行われた取締役会にて、同日付けで任期満了となり社長を退任する岸部陞(当時、市長は退任していた)の後任として、田沢湖高原リフト社長の若杉清一が選定され、同社としては初の民間からの登用となった。 2011年9月より、一身上の都合で辞意を表明していた若杉の後任となる社長を公募、応募者計63名の中から一時審査(書類選考)を通過した11人(内1人は辞退)が11月14日の個人面接(10人)に臨み、同日の臨時取締役会で神戸市在住の酒井一郎が新社長に選ばれた。 2012年、阿仁合駅のレストラン「こぐま亭」の直営化、急行の1両普通車両化、各駅停車2往復減便などで赤字額を1億9500万円に抑え、県の存続基準2億円を下回り、存続が延長されたが、2015年度の赤字額が3年ぶりに2億円を超える見通しなった。 2013年、平成25年度の赤字見込み額が1億9983万円と報道されるが、厳しい経営が続いている。 2014年6月、酒井一郎が社長を退任し、後任としてJTB東北からの出向で佐々木琢郎が社長に就任した〔秋田)内陸線「何としても存続を」 新社長が会見し抱負 (インターネット・アーカイブ) - 朝日新聞デジタル、2014年7月1日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋田内陸縦貫鉄道」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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