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秋萩帖(あきはぎじょう)は、平安時代の書の作品の一つで、草仮名の代表的遺品。巻子本、1巻。和歌48首と王羲之尺牘(せきとく)臨書11通が書写されている。伝称筆者は小野道風及び藤原行成。書写年代は不明だが10世紀ないしは11世紀か。国宝〔正式の国宝指定名称は「秋萩帖」「淮南鴻烈兵略間詁(紙背)」を2行書きとするもので、紙背も含め国宝に指定されている。〕。東京国立博物館蔵。 == 概要 == 色替わりの染紙20枚を継いだ全長842.4cmの巻子本。天地は第2紙以下は23.8cmだが、第1紙のみ少し大きく24.5cm。内容などから以下の4つの部分(紙背を含む)に分けることができる。 ;A. 第1紙 :薄い縹色に染めた麻紙に一首4行書きの和歌2首(秋歌)を書す。小野道風筆の伝承をもち、書風はその真跡に似るが、他筆や摸写の可能性もある。紙背には文字は書かれていない。2首目の第1行のところに虫損が縦に走っていることから、この部分に糊が塗られていた、つまり原装は粘葉装であったと考えられる。 ;B. 第2紙から第15紙半ば :色々の濃淡に染めた色替わりの楮紙を継いでおり、A(第1紙)と同じく一首4行書きで和歌46首(冬歌他)を書す。書風はAと似るが別筆であり、Aの失われた部分の摸写と考えられる。そのため道風筆の伝承は受け入れがたい。 ;C. 第15紙途中から巻末第20紙 :Bと同じ料紙に王羲之尺牘11通分を臨写する(尺牘とは書状のこと)。Bと同筆。Bとともに藤原行成筆の伝承を持ち、また行成真跡に似るという意見もある。11通のうち半数以上が唐摸本のみならず摸刻本すら中国には残っていない貴重なものである。 ;D. 第2紙から巻末第21紙までの紙背 :『淮南鴻烈兵略間詁 第廿』の写本。唐代の書写という説が有力である。『淮南鴻烈兵略間詁』(えなんこうれつ へいりゃく かんこ)は、前漢時代の思想書『淮南子』の許慎による註釈書である。 もともとAとB、C、Dは別に伝来していたが、後に継がれたと考えられている。その時期は、Dの各継ぎ目上部に伏見天皇の花押が書かれているが、第1紙と第2紙の間にはそれが存在しないことから、それ以後であろう。 伏見天皇から伏見家をへて霊元天皇に伝わる。この時行成筆白氏詩巻とともに一つの箱に収められ、宸筆で「野跡」(道風筆)「権跡」(行成筆)などの箱書が書かれる。 AとBについては、筆者、書写年代等について諸説あるが(後述)、日本語の表記が上古の万葉仮名から日本独自の平仮名へ移行する過渡期の草仮名の遺品として、書道史のみならず、日本語史、日本文学史のうえでも貴重な資料である。 巻頭の和歌は「あきはぎのしたばい(「ろ」脱か)つくいまよりぞひとりあるひとのいねかてにする」で、これが「秋萩帖」の呼称の由来になっている。この和歌は日本語の1音節を漢字1文字にあて、草書体で書写されている。これを漢字によって書き下すと次のようになる。 :安幾破起乃 之多者以都久 以末餘理處 悲東理安留悲東乃 以禰可轉仁数流(読みやすくするため句ごとに区切った) この和歌は、古今和歌集巻四・秋歌の220番歌「秋萩の下葉色付く今よりやひとりある人の寝ねかてにする」と同歌とみられるが、第3句が「いまよりぞ」となる点に小異がある〔巻頭の和歌については以下によった。吉田紀恵子「『下官集』「仮名字書きつゝくる事」の条に関する一考察 和歌と仮名書記について」『日本大学大学院総合社会情報研究科紀要』12、2011、p.141(日本大学大学院総合社会情報研究科サイト からダウンロード可)〕。書体は「安」(あ)のように平仮名の字形に近くなっているものもあるが、漢字の字形をとどめており、一部に2字の連綿もみられるが、基本的には放ち書きである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋萩帖」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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