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秋葉原ディアステージ(あきはばらディアステージ、)は、株式会社モエ・ジャパンが運営するライブイベントスペース及びバー。 == 沿革 == === 前史 === 2007年、当時24歳だった福嶋麻衣子は、本業として出版社に勤務しつつ週末だけでも秋葉原で働きたいと考え様々な店に顔を出しており〔日本の若者は不幸じゃない, p.96〕、その過程で吉河順央、古川未鈴、黒崎真音など〔日本の若者は不幸じゃない, p.100〕のディアステージの立ち上げメンバーと出会った〔。このメンバーはメイド喫茶などの飲食店で働いていた従業員やその客など福嶋を含めて10名足らずで〔日本の若者は不幸じゃない, p.97〕、2007年に入り警察の取り締まりが強化され路上でのパフォーマンスがしにくくなってきたことを理由に「歩行者天国のある週末だけでなく、毎日路上のように“お祭り”ができる店をオープンさせたい」という計画を持っていた〔。その話を聞いた福嶋は店舗の立ち上げに後から参加しており、当初は本業があったためメンバーの中核ではなかったという〔日本の若者は不幸じゃない, p.98〕。2007年の夏にメンバーが集結し、秋には会社を設立〔。資金を300万円用意し、東京都台東区秋葉原のビルの地下にあったレゲエ専門のクラブを営業時間外に間借りする形で出店することとなった(ここは後に「MOGRA」となる)〔。そして立ち上げメンバーが周囲に声を掛け、メイド喫茶の従業員など更に10名弱の女性が集結〔日本の若者は不幸じゃない, p.99〕。後に設立当初より社長を務めていたメンバーが退職してしまったため、福嶋が本業として勤めていた出版社を退職してモエ・ジャパンの社長に就任することとなった〔日本の若者は不幸じゃない, p.101〕。 2007年12月1日にディアステージはオープンしたが、初日から行列ができていたという〔。これは店の噂を聞きつけて来店した客の他に、立ち上げメンバーがかつての常連客や仲間を一斉に連れて来てくれたことが大きいとしているほか〔、事前に従業員がコスプレをしながら配布した開店告知のチラシ1000枚は1時間経たないうちに無くなってしまったという〔日本の若者は不幸じゃない, p.102〕。福嶋は、ディアステージが開店当初から人気だった理由として「お客さん達はアイドルのライブを渇望していた。店内で時間を決めて本格的にライブをする店はディアステージ以外に殆ど無かった」「ドリンク代のみでライブを見て、その女の子と会話までできるので、通常のライブハウスでのアイドルイベントと比べてお得感があった」「お客さん同士でも交流ができる“居場所”を作った」点などを挙げている〔日本の若者は不幸じゃない, p.103〕。 当時のディアステージはメイド喫茶と違って接客のルールが厳格には決められておらず〔日本の若者は不幸じゃない, p.104〕、客が店舗の運営についてアドバイスすることがあったり、時には料理を運んだり皿洗いを手伝ったりすることさえあったという〔日本の若者は不幸じゃない, p.105〕。これにより「自分たちが店を支えている」「みんなで店を作り上げていく、自分たちの店」という意識を芽生えさせ、店舗に対する意識を近づかせることができたとしている〔日本の若者は不幸じゃない, pp.105-106〕。また、「アイドルのステージを見ながらお酒を飲む」というコンセプトになったのは立ち上げメンバーに元バーテンダーの女性がいたためであるほか、元一流ホテルのシェフをしていた男性もおり、ディアステージの料理は非常に美味しいと評判であったという〔。 福嶋はディアステージで働いている従業員には「自分の夢を叶える場所」として考えてもらっていると述べており、その夢をお客さんに応援してもらうのがこの店のシステムであるとしている〔日本の若者は不幸じゃない, p.107〕。また、当時から明確に「プロダクションとレーベルをやりたい」という目標を持っていたという〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秋葉原ディアステージ」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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