|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 友 : [とも] 【名詞】 1. friend 2. companion 3. pal ・ 足 : [あし] 【名詞】 1. foot 2. pace 3. gait 4. leg
秦 友足(はだ の ともたり、生年不明 - 天武天皇元年7月9日(672年8月7日))は、日本の飛鳥時代の人物である。姓はなし。秦内満の子とする系図がある〔宝賀寿男『古代氏族系譜集成』古代氏族研究会、1986年。また、同書記載の系図では友足を秦(造)国勝の孫としていることから、友足の姓も造であった可能性もある。〕。 672年の壬申の乱で大友皇子(弘文天皇)側について戦い、鳥籠山で敗れて殺された。秦友足についての史料は、鳥籠山の戦いについて記した『日本書紀』中の一文しかない。そこには「男依らが近江の将秦友足を鳥籠山で討ち、これを斬った」とある。 村国男依らが率いる大海人皇子(天武天皇)側の軍は、数万の兵力でこのとき琵琶湖東岸を西進していた。これに対して大友皇子側(近江側)も数万の兵を向かわせたが、7月7日に息長の横河で会戦して敗れた。鳥籠の戦いはその2日後である。 この頃の近江軍は指揮系統が混乱していた。書紀の表現では秦友足がこの戦いの総指揮官と読めるが、確実ではない。鳥籠は犬上郡にあるので、鳥籠山は犬上郡と坂田郡との境界付近の丘陵にあたるとされるが、具体的にどの山かについては諸説ある。 == 脚注 == 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秦友足」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|