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秦 朝元(はた の あさもと、生没年不詳)は、奈良時代の官人。姓は忌寸。遣唐留学僧・弁正の子。兄に秦朝慶がいる。官位は外従五位上・主計頭。 == 生涯 == 唐の地にて生まれ、養老2年(718年)の遣唐使とともに訪日したと考えられている。翌養老3年(719年)に忌寸姓を賜与され、養老5年(721年)までに従六位下に叙せられている。同年、医術に優れるとして賞されている。 天平2年(730年)訳語の弟子二人に唐語を教えるよう命じられ、翌天平3年(731年)外従五位下に昇叙している。天平4年(732年)多治比広成を大使とする遣唐使に加えられ、入唐判官に任じられている。唐では父・弁正の縁故により、玄宗によって厚く賞賜を与えられる〔入唐の際、弁正や秦朝慶が存命であったについては不明。〕。 天平6年(734年)帰国し、翌天平7年(735年)入京して外従五位上に叙されている。天平9年(737年)図書頭。天平18年(746年)元正天皇の御所に左大臣・橘諸兄らとともに参上し、雪景色を和歌に詠むように、との詔があった。他の出席者は和歌で応えたが、秦朝元だけは詠まなかったため、橘諸兄に「麝香をもって贖え」と言われ、黙り込んだと伝えられる。同年、主計頭に任ぜられる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秦朝元」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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