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秦鼎(はた かなえ 宝暦11年(1761年)~天保2年(1831年))は、美濃の人。字は士鉉。通称、嘉奈衞。滄浪、小翁、夢仙と号す。父は苅谷藩の儒者、秦峨眉。父に従い家学を承け、更に細井平洲に学ぶ。尾張藩の藩校明倫堂の教授として活躍した。校勘に優れ、『春秋左氏伝校本』『国語定本』『世説箋本』などが、世に行われている。また、詩文を善し、能筆の誉れも高かった。しかし、その博識と驕慢は、毀誉褒貶を招き、やがて失脚した。天保2(1831)、71歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「秦鼎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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