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秩父将常 : ミニ英和和英辞書
秩父将常[とわ, じょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちち]
 【名詞】 1. (hum) father 
: [しょう]
 【名詞】 1. commander 2. general 3. leader 
: [とわ, じょう]
  1. (adj-na,n) eternity 2. perpetuity 3. immortality

秩父将常 ( リダイレクト:平将恒 ) : ウィキペディア日本語版
平将恒[たいら の まさつね]

平 将恒(たいら の まさつね)は、平安時代中期から後期の豪族武将桓武天皇6世で、武蔵国の名族・秩父氏の祖〔。将常とも。父は平忠頼、生母は平将門の娘・春姫。母方の祖父が平将門であり、将恒の「将」の諱も将門から引き継いだものと思われる。官位は武蔵権大掾
== 概略 ==
治安3年(1023年)、武蔵介藤原真枝勅命に反し武蔵国にて兵を起こした。将恒は藤原真枝征伐の命を受けて相模・上総の兵を率いて豊島で戦い、藤原真枝は自害、将恒はこれを鎮圧した功で駿河武蔵上総下総に領地を得たという。
長元元年(1028年)、兄の平忠常房総半島で大規模な反乱(平忠常の乱)を起こしたが、将恒はこれに加担せず、勢力を大きく減退させることはなかったと伝わる。
武蔵国秩父郡において秩父氏を称し、将恒の子孫は秩父平氏として武蔵国各地に勢力を拡大した。長男・武基の生母は武蔵武芝の娘(『西角井系譜』より)、次男・武常と三男・常任の生母は平忠通の娘とされる(『桓武平氏良文系全系図‎』より)。
前九年の役にて、51歳で戦死したと伝わる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「平将恒」の詳細全文を読む




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