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程 天放(てい てんほう)は中華民国(台湾)の政治家・教育者・外交官。中国国民党では宣伝部門、国民政府では教育部門の各職を歴任した人物として知られる。旧名は学愉。 == 事跡 == === 五四運動指導者からAB団指導者へ === 1912年(民国元年)、省城洪都中学に入学し、後に私立心徳中学に転入した。1919年(民国8年)、五四運動が勃発すると、程天放は上海学生聯合会副評議長となり、同年秋には学生聯合会会長に選ばれている。同年中に復旦大学を卒業した程はアメリカに留学し、まずシカゴ大学哲学部で学び、次いでイリノイ大学政治学部に移った。1922年に修士号を取得するとカナダに向かい、トロント大学で研究を続ける。この間の1923年に中国国民党に加入し、機関紙『醒獅日報』総編輯や党カナダ東部支部長などを務めた。1926年に政治学博士号を取得し、同年8月に帰国した。 帰国後の程天放は、復旦大学や大夏大学で教授を務めている。1927年(民国16年)1月、中国国民党江西省党部執行委員兼宣伝部部長に起用された。翌月には同省政府教育庁庁長となっている。この間、程は反共の「AB団」の指導者として省内の中国共産党勢力と激しい権力闘争を演じた。4月には共産党側に逮捕され、処刑直前の危機に追い込まれている。しかし同年中に省政府主席朱培徳が蒋介石ら南京国民政府に接近し始めたこともあって、5月末に釈放された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「程天放」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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