翻訳と辞書
Words near each other
・ 程朱学
・ 程朱理学
・ 程村紙
・ 程武
・ 程永華
・ 程派八卦掌
・ 程潜
・ 程無く
・ 程瑤田
・ 程瑶田
程璧光
・ 程畿
・ 程知節
・ 程秉
・ 程程
・ 程穆倩
・ 程立
・ 程経て
・ 程良く
・ 程英


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

程璧光 : ミニ英和和英辞書
程璧光[てい へきこう]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほど]
  1. (n-adv,n) degree 2. extent 3. bounds 4. limit 
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

程璧光 : ウィキペディア日本語版
程璧光[てい へきこう]

程 璧光(てい へきこう)は、清末民初の海軍軍人。孫文(孫中山)らの南方政府を支持した人物である。恒啓。号は玉堂
== 事跡 ==

=== 海軍軍人としての台頭 ===
父はアメリカで商売を営んでいたが、1871年同治10年)にサンフランシスコで死去したため、程璧光は棺を守って帰国した。15歳のときに、馬江船政局の水師学堂で学び、卒業後は海軍で順調に昇進している。1894年光緒20年)、程璧光は粤艦領隊に任じられ、広甲・広乙・広丙の3艦を率いて北上した。日清戦争が勃発すると、当初は後備を命じられたが、程は自ら李鴻章に志願して最前線に赴く許可を得ている。しかし大東溝において、日本側艦隊との戦闘中に負傷してしまった。翌年2月、威海衛において北洋艦隊が覆滅され、清の敗北に終わると、程は官職を解かれて帰郷している。
帰郷直後に、程璧光は興中会を組織していた孫文と出会う。孫文と、すでに入会していた弟の程奎光の勧誘を受けて、程璧光も興中会に加入した。しかし同年10月、興中会の蜂起が失敗して、程奎光は殺害されてしまう。程璧光はマレーシアペナン島へと逃亡したが、しばらくは革命派との関与を慎むようになる。
1896年(光緒22年)春、李鴻章が欧州へ向かう最中にペナン島に立ち寄ったところ、程璧光と対面して再任官を勧めてきたため、程もこれに応じた。5月、李鴻章は英国で建造中の海天・海圻の2艦の統率を程に委ね、程はこれを率いて帰国した。帰国後は、北洋営務処会弁、船政司司長を歴任する。1909年宣統元年)、巡洋艦隊統領に任ぜられた。翌年冬には、海軍部第二司司長に任ぜられる。1911年(宣統3年)6月、ジョージ5世の戴冠式に際して、正使の載振に副使として随従した。戴冠式終了後は、程は艦を率い、南北アメリカの各国に寄港してから帰国している。
辛亥革命勃発当時、程璧光はまだ海外にあった。伍廷芳ら革命派の帰国要請もあったものの、実際の帰国は1912年民国元年)夏となってしまう。そのときには、すでに劉冠雄が海軍総長の地位にあったため、程はこの状況を見て辞職し、上海に引きこもってしまった。
袁世凱は程を放置しようとせず、翌年には海軍高等顧問として招聘した。さらに陸海軍大元帥統率弁事処参議に任じている。しかし1915年(民国4年)に袁が皇帝即位を目論んだ際には、程は表立って反抗こそしなかったものの、友人に不満の意を漏らす手紙を送るなどしている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「程璧光」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.