翻訳と辞書
Words near each other
・ 稔性因子
・ 稔性花
・ 稔町 (弘前市)
・ 稕
・ 稖
・ 稗
・ 稗原町
・ 稗原町 (神戸市)
・ 稗島の樟
・ 稗島駅
稗方弘毅
・ 稗海亭柳浪
・ 稗田おんまゆら
・ 稗田バスストップ
・ 稗田一穂
・ 稗田乃
・ 稗田利八
・ 稗田前駅
・ 稗田城
・ 稗田山崩れ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

稗方弘毅 : ミニ英和和英辞書
稗方弘毅[ひえかた こうき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひえ]
 (n) barnyard millet
: [ほう]
  1. (n-adv,n) side 2. direction 3. way 

稗方弘毅 : ウィキペディア日本語版
稗方弘毅[ひえかた こうき]

稗方 弘毅(ひえかた こうき、1887年明治20年)9月20日 - 1973年昭和48年)3月8日)は、日本の内務官僚教育者。官選秋田県知事
==経歴==
熊本県下益城郡海東村南海東小園に、海東村長・稗方惟一の長男〔『新編日本の歴代知事』177頁。〕として生まれる。熊本県立中学済々黌第五高等学校を経て、1913年東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業〔。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し熊本県属となる〔『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、205頁。〕。以後、大正4年(1915年)に山口県警視、大正6年(1917年)に山口県佐波郡長、大正7年(1918年)に宮城県理事官、大正10年(1921年)に福岡県理事官から内務省に異動し国勢院書記官となり、大正13年(1924年)11月に山梨県書記官・内務部長となり、その後、神奈川書記官・内務部長などを歴任〔。1930年6月、官選第32代秋田県知事に就任〔〔『海東小学校創立百周年記念誌』〕。県財政の赤字のため、緊縮財政を徹底して推進した〔。1931年12月18日、知事を休職〔『官報』第1493号、昭和6年12月19日。〕。1932年1月29日、依願免本官となり退官した〔『官報』第1523号、昭和7年1月30日。〕。
政変に巻き込まれて官界を去った後、横浜で弁護士を開業するとともに、東京九段にあった和洋裁縫女子専門学校の経営に当たった〔『九州人国記』427頁。〕。大学園に育て上げ、和洋女子大学学長、私立大学協会長、大学設置審議会委員などを歴任。1965年(昭和40年)、勲二等叙勲。1973年(昭和48年)没〔『熊本県大百科事典』674頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「稗方弘毅」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.