|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 稚児 : [ちご] 【名詞】 1. baby 2. child 3. (festivity) page ・ 児 : [じ] 1. (n-suf) child ・ 行 : [くだり, ぎょう] 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse ・ 行列 : [ぎょうれつ] 1. (n,vs,n) (1) line 2. procession 3. (2) (gen) (math) matrix ・ 列 : [れつ] 【名詞】 1. queue 2. line 3. row
稚児(ちご)には、概ね、以下の意味がある。 * 本来の意味の稚児で乳児、幼児のこと。「ちのみご」という言葉が縮んだものと考えられる。後に、6歳くらいまでの幼児(袴着・ひもとき前)に拡大される。袴着・ひもとき~元服・裳着の間の少年少女は「童」(わらは・わらべ)と呼ばれた。 * 大規模寺院における稚児 → 下記 大規模寺院における稚児 参照 * 転じて、男色の対象とされる若年の男性の意。 * 祭りにおける稚児 → 下記 祭りにおける稚児 参照 ---- == 大規模寺院における稚児 == 平安時代頃から、真言宗、天台宗等の大規模寺院において、剃髪しない少年修行僧(12~18歳くらい)が現れはじめ、これも稚児と呼ばれるようになった。皇族や上位貴族の子弟が行儀見習いなどで寺に預けられる「上稚児」、頭の良さを見込まれて世話係として僧侶に従う「中稚児」、芸道などの才能が見込まれて雇われたり腐敗僧侶に売られてきた「下稚児」がいた。禅宗では喝食と呼ばれた。 髪形は垂髪、または、稚児髷で、平安貴族女性と同様の化粧をし(お歯黒も付ける場合もあった)、極彩色の水干を着た。又、女装する場合もあり、その場合、少女と見分けがつきにくかった。 真言宗、天台宗等の大規模寺院は修行の場であるため山間部にあり、また、女人禁制であるため、このような稚児はいわば「男性社会における女性的な存在」となり、しばしば男色の対象とされた(ただし上稚児は対象外)。中世以降の禅林(禅宗寺院)においても、稚児・喝食は主に男色、衆道、少年愛の対象であった。 特に、天台宗においては「稚児灌頂」という儀式が行われ、この時に「○○丸」と命名された。これを受けた稚児は観音菩薩と同格とされ、神聖視された。 室町時代に書かれた「お伽草子」には僧侶と稚児の恋愛や稚児が観音菩薩の化身として現れる“稚児物”と呼ばれる作品群があり、また稚児を巡る社会風潮を批判するために書かれた『若気嘲弄物語』のような作品もあった〔田村航「『若気嘲弄物語』は一条兼良の作か」『伝承文学研究』第51号(伝承文学研究会、2001年)/所収改題「『若気嘲弄物語』の一条兼良の作について」田村『一条兼良の学問と室町文化』(勉誠出版、2013年)〕。 また、大法会の際に舞楽、散楽、延年を上演する場合が多く、他の寺の僧侶からも注目を集めた。 これらの稚児は成人に達すると還俗する場合が多いが出家して住職となった者もいたらしい。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稚児」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|