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稚泊連絡船(ちはくれんらくせん)は、太平洋戦争終結前の鉄道省(日本国有鉄道の前身)により北海道の稚内と当時日本施政下であった樺太の大泊の間で運航されていた航路(鉄道連絡船)である。 == 航路概要 == * 稚内 - 大泊間:167.0 km(営業キロ:210.0 km) * 所要時間:8時間(1934年12月当時) 宗谷海峡は冬になると流氷によって閉ざされるため、就航船には砕氷船が使用された。厳冬期の大泊では氷上で旅客・貨物の取り扱いをすることもあった。 鉄道連絡船の性格上、宗谷本線の優等列車と接続するダイヤを組み、1938年からは稚内側では列車が船に横付けできるよう、稚内駅構内扱いに稚内桟橋駅という仮乗降場が設けられていた。また大泊側も桟橋上に大泊港駅が設けられ、樺太東線と接続していた。なお、稚内から樺太への定期航路は稚泊連絡船の他に北日本汽船経営の稚斗航路(稚内 - 本斗間)があり、こちらは樺太西線と接続していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稚泊連絡船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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