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種子島久芳 : ミニ英和和英辞書
種子島久芳[たねがしま ひさよし]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たね, しゅ]
 【名詞】 1. (1) seed 2. pip 3. kind 4. variety 5. quality 6. tone 7. (2) material 8. matter 9. subject 10. theme 1 1. (news) copy 12. (3) cause 13. source 14. trick 15. secret 16. inside story 1
種子 : [しゅし]
 【名詞】 1. seed 2. pit 
種子島 : [たねがしま]
 【名詞】 1. (arch) atchlock 2. arquebus
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [しま]
 【名詞】 1. island 

種子島久芳 : ウィキペディア日本語版
種子島久芳[たねがしま ひさよし]
種子島 久芳(たねがしま ひさよし、享保19年4月2日1734年5月4日) - 寛政12年4月9日1800年5月2日)は、薩摩藩(鹿児島藩)家臣、種子島氏第21代当主。
父は種子島久達。母は川嶋氏。正室は新納久門の娘於千。子は種子島久照。通称は八郎次、蔵人、左内。初名は包時。号は自遊。
== 略歴 ==
享保19年(1734年)4月2日生まれ。延享2年(1745年)1月16日、父久達の死去により家督相続する。3月鹿児島城において、重富島津家島津周防忠紀の加冠で元服する。4月「久」の字を賜る。寛延元年(1748年)、若年のため、姉婿の島津左衛門久甫が家政を代行する。寛延2年(1749年)、定火消となる。宝暦2年(1752年)、番頭となる。
宝暦4年(1755年)、新納久門の娘於千と結婚する。宝暦9年(1759年)、島津継豊の使いで江戸に出府し、江戸藩邸で藩主島津重豪に拝謁する。江戸城に登城し、将軍徳川家重に拝謁する。宝暦10年(1760年)、嫡男鶴袈裟(久照)が誕生する(母は新納久門の娘於千)。宝暦11年(1761年)、鹿児島に幕府の巡見使が訪れた際に宿舎の防火責任者となる。宝暦12年(1762年)、藩主重豪の使者として江戸に出府する。同年、「甘藷伝」を著す。明和4年(1767年)、大乗院火消奉行。同年、病気療養のため職を辞す。明和6年(1769年)、嫡男の鶴袈裟が元服し、庸時(久照)と名を改める。安永2年(1773年)南林寺火消奉行。安永3年(1774年)興国寺火消奉行。安永4年(1775年)浄光明寺火消奉行。安永5年(1776年)興国寺火消奉行。安永7年(1778年)聖堂、神農堂火消奉行。天明2年(1782年)興国寺火消奉行。天明5年(1783年)福昌寺火消奉行。天明6年(1786年)多病のため隠居を願う。天明7年(1787年)隠居して庸時(久照)に家督を譲る。寛政12年(1800年)4月9日死去。享年67。大歓院殿日喜大居士。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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