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種田 訓久(たねだ くにひさ、1931年2月6日 - 2014年1月14日〔元プロ野球選手の種田訓久氏死去 スポニチアネックス、2014年1月14日記事。〕)は、日本のプロ野球選手(内野手)。 == 来歴・人物 == 1949年、京都市立第一工業学校(現洛陽工業高校)卒業後、南海ホークスにテスト生として入団〔〔週刊ベースボール2012年7月16日号 P79〕。高校時代のチームメイトに岡本伊三美(後に南海、南海土建野球部でも共にプレー)がいる。1952年6月26日の近鉄戦(彦根球場)〔1952年南海スタメンアーカイブ 〕で関根潤三から自身のプロ初安打となる先頭打者ホームランを放った(この記録は、それから60年後の2012年9月29日に宮崎祐樹〈オリックス〉がロッテ戦〔京セラドーム〕で藤岡貴裕からプロ初安打となる先頭打者ホームランを放つまで出なかった〔オリ宮崎、プロ初Hが初球先頭打者弾 デイリースポーツ、2012年9月30日記事。〕)。しかし、南海時代には蔭山和夫,森下正弘、1955年に移籍した東映時代には浜田義雄,西江一郎,石原照夫の控えに甘んじ、代打や守備固めでの出場が主だった。1956年に引退。 2014年1月14日午前6時40分、転移性脳腫瘍のため、京都市の自宅で死去〔。82歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「種田訓久」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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