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稲垣 千穎(いながき ちかい、1845年(弘化4年)8月 - 1913年(大正2年)2月9日)は、国学者、教育者、歌人、唱歌作詞者、教科書編集者。東京師範学校教諭として和文教育を行い、多数の和文教科書を編纂したほか、音楽取調掛として、『蛍の光』・『蝶々』2番など多数の唱歌を作詞した。通称は真二郎。 == 名前とその表記の問題 == 稲垣 千穎の「穎」は「えい」と音読みし、稲の穂先のこと。「千穎」とは無数の穂先のことで豊穣を表しており、同時に才知の豊かさを暗示している。「穎」という文字を用いた名前は、当時特に珍しい名前ではないが〔明治期の国学者本居豊穎などの例がある。〕、「稲垣千穎」の場合、苗字の「稲」と「穎」が呼応して洒落た命名である。のぎへんの「穎」は正字、しめすへんの「頴」は俗字。俗字を用いて「稲垣千頴」と表記するのが一般的で、国立国会図書館近代デジタルライブラリー〔国立国会図書館全蔵書の書誌は正字と俗字が混在しており相互参照される。〕の書誌等もそうなっているが、稲垣の歌集『稲垣千穎詠草』〔「稲垣千穎詠草」筑波大学図書館蔵 自筆稿本か?〕、編著の教科書、谷中霊園の墓碑銘、官員録などは、すべて正字表記である。2006年(平成18年)に岩波書店から刊行された『教科書 啓蒙文集』(新日本古典文学大系《明治編》11巻 倉田喜弘校注)では、官員録を典拠として正字表記で統一している。なお、稲垣千穎と改名したのは気吹舎退塾後で、それ以前は、稲垣真二郎・稲垣元儀・源元儀〔「気吹屋誓詞帳」『新修平田篤胤全集』〕などの名が用いられていた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲垣千穎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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