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稲垣 茂光(いながき しげみつ)は、越後長岡藩の家老首座(2000石)。志摩鳥羽藩主・稲垣氏の庶流の家系である。諱は茂光、後に重光〔第14代将軍徳川家茂の諱と同字であることを憚っての改名と思われる。家茂の改名は安政5年(1858年)なので、改名はこの直後の可能性が高い。〕。 == 幕末 == 越後長岡藩随一の門閥・名門であった永代家老の稲垣平助家に生まれる。 水戸学に傾注していた父茂快が天保13年(1842年)に24歳で京において急死したため家督相続。時に数え7歳で家老次座に列する。安政3年(1856年)、家老本職・首座となる。安政5年(1858年)、第11代越後長岡藩主牧野忠恭嫡子の養育係となるも、三河西尾藩主・大給松平家から養子として招かれた忠恭と馬が合わず苦悩する。 忠恭はその当時、公用人であった河井継之助を重用し段々立身させていた。 忠恭の信任の下に河井継之助は家老として藩政改革を断行し、門閥の平均化のため稲垣平助家は、500石に減知された。家老職こそ取り上げられなかったものの、慶応4年(1868年)兵学所頭取に棚上げされて事実上、藩政から外された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲垣茂光」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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