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稲田藤治郎 : ミニ英和和英辞書
稲田藤治郎[いなだ とうじろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [いね]
 【名詞】 1. rice-plant 
稲田 : [いなだ]
 【名詞】 1. paddy field 2. rice field 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

稲田藤治郎 : ウィキペディア日本語版
稲田藤治郎[いなだ とうじろう]

稲田 藤治郎(いなだ とうじろう、明治2年3月21日〔衆議院『第十八回帝国議会衆議院議員名簿』(第十八回帝国議会衆議院公報第一号附録)〔1903年〕、20頁。〕(1869年5月2日) - 昭和17年(1942年2月22日〔衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年、72頁。〕)は、日本政治家実業家。元衆議院議員。稲田家の七代目。鳥取県平民〔『人事興信録. 6版』(大正10年)い一二一〕。
弁護士・公証人雑賀愛造、洋食のレストラン“十字屋”経営主で元米子市会議員野坂康久などは稲田一族の出身である。
== 経歴 ==
鳥取県米子市出身。稲田喜重郎の二男〔『人事興信録. 第8版』(昭和3年)イ一九四〕。家業は醤油醸造業(現・稲田本店)。
明治21年(1888年東京高等商業学校一橋大学の前身)卒業〔。
明治25年(1892年久米町にてビール工場を建設。本場ドイツで学んだ技師を雇い入れ、瓶は手拭で手造り、長いコルク栓ガス漏れを防ぐ等の工夫を凝らし“イナタビール”として売り出す。後年隣家より出火、類焼(ビール工場は全焼)に逢い、ビール製造は中止の止むなきに至ったが、地ビール製造の先駆とも言える存在であった。 〔蔵元 稲田本店【歴史】
明治36年(1903年)3月衆議院議員に当選。
大正2年(1913年)兄秀太郎方より分家して一家を創立す〔。
政治の世界を去ってからは東京に在住して各種の事業を営んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「稲田藤治郎」の詳細全文を読む




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