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稲荷山宿(いなりやまじゅく)は、善光寺街道(北国西街道、善光寺西街道)の宿場で、現在は長野県千曲市稲荷山。 == 概要 == 戦国末期の城跡であったが江戸時代には善光寺へと至る「善光寺街道」(北国西街道)最大の宿場町(1862年(文久2年)の記録で、家数436軒、人数1625人)として、また呉服問屋を中心とした商取引の町としても栄えた。「善光寺道名所図会」によると、「一ヶ月に九回の市が立ち、商人多く、家数も五百軒ある繁盛の地」と記されている。 江戸時代末期から明治期にかけては繭(まゆ)や生糸・絹織物などを扱う北信濃随一の商都となった〔福富智(2014年10月18日). “文化審答申:千曲・稲荷山を 国の重要伝統的建造物群保存地区 「鍵の手」の街道、水路など評価”. 毎日新聞 (毎日新聞社)〕(明治初期の稲荷山町の所得税額は、現在の長野県内で第2位、呉服反物取引は第1位)。現在長野県を代表する地方銀行である八十二銀行の前身は「第六十三国立銀行」(1878年(明治11年)開業、長野・松代地方)と「第十九国立銀行」(1877年(明治10年)開業、上田地方)で、このうち「第六十三国立銀行」の本店は元々松代町であったが、1891年(明治24年)の松代の大火で経営難に陥り、当時の稲荷山銀行の支援を受けて稲荷山町に本店を移した経緯があり、商都としての存在感がいかに大きかったかを示している。 その後、JRの稲荷山駅が離れた場所に作られたこともあって衰退し、昭和恐慌により商業地としては完全に没落するが、それ故に現在も往時の面影が色濃く残っており、特に1847年(弘化4年)5月8日の善光寺大地震後に建てられた土倉群に因み、近年「蔵の町」としての街づくりが進められている。 街の中央部を通り抜ける街道が途中で折れ曲がる「鍵の手」や水路などの近世以来の地割や建物が遺っていることから〔、2014年(平成26年)12月10日付けで109地区目の重要伝統的建造物群保存地区として選定された(選定地区名称は「千曲市稲荷山伝統的建造物群保存地区」)〔平成26年12月10日文部科学省告示第177号〕〔http://www.bunka.go.jp/ima/press_release/pdf/2014101701.pdf〕。 また、北国西街道(善光寺西街道)と谷街道(千曲川東岸を通って飯山に至る。現「しなの浪漫街道」)の分岐点であり、現在稲荷山郵便局前に、しなの浪漫街道の起点を示す標識がある。 そして、近隣には、街道最大の難所である猿ヶ馬場峠の東側山麓にある桑原宿、北信濃随一の八幡宮として知られる武水別神社、三大長谷寺に数えられる長谷寺などがある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲荷山宿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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