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稲葉 三右衛門(いなば さんえもん、天保8年(1837年)9月21日 - 大正3年(1914年)6月)は、現在の三重県四日市市の築港者。四日市港を近代港湾にした功労者。明治時代の四日市の近代化に貢献した公共事業家。〔http://kotobank.jp/word/%E7%A8%B2%E8%91%89%E4%B8%89%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80〕〔コトバンク〕 ==経歴== *幼名は九十郎で後に利孝改名した。美濃国高須藩の旧家吉田詠再の六男として出生した。天領の四日市町に奉公した。中納屋町の廻船問屋であった稲葉家の養子となる。 *六代目稲葉三右衛門を襲名して元治元年(1864年)稲葉家の娘たかの婿養子として縁組した。年下のたかとは当時として珍しく恋愛結婚で、少女のころから兄と妹のような関係だった。 *明治時代となり近代化された後・明治政府太政官制度の会計局御用係と四日市町の戸長と船改上取締役など行政職に任命された。 *伊勢国(三重県)四日市町で廻船問屋を経営していた。1873年(明治6年)〜1884年(明治17年)にかけて四日市港(旧港)の修築に着手して、(稲葉町・高砂町)の埋め立て工事をしたが港湾の埋め立て工事は資金面や反対の声で困難となりたびたび工事が中断した。三右衛門の私財を投資して1884年(明治17年)に完成した。四日市市の近代化を推進して、四日市繁栄の基礎を築いた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲葉三右衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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