|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 稲 : [いね] 【名詞】 1. rice-plant ・ 葉 : [よう, は] 【名詞】 1. leaf ・ 通 : [つう] 1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc.
稲葉 弘通(いなば ひろみち)は、豊後国臼杵藩の第10代藩主。 弘通は長男であったが、母が側室であったため、父・泰通は正室との間にもうけた次男・副通を嫡子とした。明和5年(1768年)7月2日に父が死去した後、家督は副通が継ぐこととなったが、副通は将軍・徳川家治に御目見することも、若年故に継嗣を指定することもないまま(「末期養子」)、1年も経たない明和6年(1769年)6月に16歳の若さで夭折してしまった。この稲葉家改易の危機に藩の重役たちは慌て、泰通の跡をただちに弘通が継いだことにして御目見させることで、改易を免れた。このため、副通は臼杵藩の歴代藩主として数えられていない。 藩政においては、藩財政窮乏化のために借上を行ない、さらに御用金を商人などに課すことで再建を図ったが、天明の大飢饉により藩内が大被害を受け、さらに幕命によって美濃・伊勢の河川普請手伝いに駆り出されてその出費が著しかったため、効果はほとんどなかった。寛政12年(1800年)9月10日、家督を次男・雍通に譲って隠居する。文化8年(1811年)、剃髪して伊賀入道と号した。 文政元年(1818年)10月28日、67歳で死去した。 == 関連項目 == *末期養子 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲葉弘通」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|