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稲葉 正守(いなば まさもり、享和4年1月29日(1804年3月10日) - ?)は、山城淀藩の第10代藩主。正成系稲葉家宗家14代。 == 経歴== 第7代藩主・稲葉正諶の七男。正室は藤堂高兌の娘。子に娘(戸田氏彬正室)。官位は従五位下、従四位下、丹後守、佐渡守、内匠頭。幼名は鉄弥。通称は大学。 文政6年(1823年)、甥で先代藩主の正発が嗣子無くして死去したため、跡を継いだ。同年9月1日、将軍徳川家斉に拝謁する。文政7年12月16日、従五位下丹後守に叙任する。後に内匠頭、佐渡守に改める。天保4年(1833年)2月18日、奏者番に就任する。天保9年(1838年)6月1日、寺社奉行に就任する。天保11年12月16日、従四位下に昇進する。天保13年(1842年)4月24日、寺社奉行を退任する。同年7月20日に隠居し、養子の正誼に家督を譲った。明治2年(1869年)2月、東京から淀に居所を移す。没年はわかっていない。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲葉正守」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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