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稲賀 龍二(いなが りゅうじ、嘉永元年12月21日(1849年1月15日) - 昭和6年(1931年)3月15日)は日本の政治家。上道村長(初代、第4代)。境町長(第11代)。元鳥取県会議員(議長、副議長)、郡会議員(議長)、村会議員。 孫娘のしげのは元郵政大臣手島栄の妻。同じく孫の稲賀幸は元稲賀外科医院長。鳥取県済生会境港総合病院院長稲賀潔は曾孫。 == 経歴 == 伯耆国会見郡上道村(現鳥取県境港市上道町)に生まれた。父貞次郎は最後の上道村庄屋。 明治21年(1888年)鳥取県会議員に当選、その後明治28年(1895年)から明治32年(1899年)にかけて当選3回、その間明治30年(1897年)には第15代の県会議長に就任した。 明治22年(1889年)町村制実施のさい推されて上道村長に就任、以来長期にわたり村長の要職を兼務した。昭和3年(1928年)には境町長も務めた。 明治29年(1896年)西伯郡会発足とともに郡会議員に当選、大正8年(1919年)まで4期を務め、その間大正4年(1915年)には郡会議長に就任した。 明治41年(1908年)には村政の業績により村長として県から表彰され明治44年(1911年)には上道村が内務省から表彰された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「稲賀龍二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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